あかくとけても

 秋。寺院の裏庭には、三本ほど真っ赤に盛る木がある。その木の葉は一様に手のひら型に形を揃えており、まるで色紙で切り貼りした作り物の木立さながら、かすかな風で盛大に葉を降りこぼした。
 三本の木が集まった一角は、だから今、地面までもが赤い。とりあえず掃除の手伝いでもしようかと竹箒を持ってきたまでは良かったが、悟空は結局、その赤い落葉を前に途方に暮れてしまっている。
 赤い紅い――朱い。地面に落ちた葉の一枚一枚が、ひどく鮮やかなのだ。
 掃除というものは、あくまでも汚い場所を掃いたり拭いたりするもので、綺麗な場所を片付けるものではない。つまるところ、絨毯のように幾千もの赤い葉が積もったその場所が、悟空にとっては、どうしても汚れた場所だとは思えなかった。
 ところが今、己の手にあるものは竹箒である。掃除をしろと言われてここを分担されもした。もしも悟空が、この場所の葉を集めないままにしておけば、文句は、悟空本人ではなく、三蔵に向かってしまうことになる。
 悟空の逡巡は長くはなかった。まずは辺りを確かめ人目を忍び、箒を置いて、こっそりダッシュをかける。
 目指すは寺院内の己の部屋だ。
 小坊主連中が揃って各所を掃除して回っている午後だった。ちょっと歩けば、すぐに箒や雑巾を持った彼らに突き当たる。それを一人一人用心深く避けながら、何とか自室まで立ち戻る。
 部屋であれこれ物色することしばし。目当てのものを見つけられなかった悟空は、すぐ隣の、三蔵と共有している寝室でそれを発見した。
 大きな風呂敷代わりになりそうなもの――ベッドに掛けられていたシーツである。
 たった今敷き替えられたらしい、皺ひとつなかったものを、思い切り剥ぎ取った。その大布を小さく丸め、己の上着の中に隠すのだ。
 そうして辺りを窺いながら、再び外へと走り出す。
 幸いにして、赤く染まった庭の一角は、未だ無人のままだった。
 あとは大慌てで持ってきたシーツに葉を乗せた。箒で掃いてしまうと、うっかり泥まで入れてしまいそうだったので、両手で丁寧に移し替えた。シーツにくるめなかった分は、勿体なかったけれど、掃除の証拠として小坊主たちに示してもきた。おかげで、大して怪しまれることもなく、裏庭の紅の大半を持ち帰った悟空だった。
 
 部屋に帰って、どきどきしながらシーツを広げる。
 小坊主たちに片付けられ、愛想も何もなかった床一面が、広がった白い布で覆われた。その布の中央、小山に積み上がる赤く紅く朱い葉を、少しずつ手で撫でて平らにしていく。
 ひらひらともふわふわともつかぬ、かすかにしっとりとした手触りまでもが妙に心地良かった。
 しばらく、そうして手で触れて、目で色を眺めて楽しんでいた悟空は、最後に、絨毯状にならされた葉の上に身体を横たえる。
 葉からは、何とも言えない、透き通った木の香りがした。
「……きもちいい」
 思わずうっとりと声が漏れた。
 上手くは表現できないが、この葉と自分は同じものでできているような気がした。今ならば、もしも葉が溶け出して肌の中に消えていっても驚かなかったかもしれない。
 両脇からいくらかを掬い上げ、己の上に降らせてみる。紅のひとひらは、本当にゆっくりと空気を掻き分け、悟空の胸の上にもやさしく降り積もっていく。
 瞼に色が残るようだった。
時刻はいつの間にか夕刻に迫ろうとしていた。そろそろ夕餉の膳が整えられる頃だと知りながらも、悟空はその場に寝転んだまま、長く天井と揺れる紅とを仰いでいた。
 
 そんな一室に三蔵が顔を覗かせたのは、いつもの通り、彼の仕事が終わってからのことだ。食事の間に悟空がいなかったものだから、不思議に思って探しに来てくれたのだろう。
 扉を開けた途端に寝転んでいた悟空と目を合わせ、彼はまず大きな溜め息を吐き出した。
「何してんだ」
「ねてるー」
「見りゃわかる。何の目的でそこにいる?」
 問われて、はて、と考え直す。特に何が楽しくて寝転んでいたわけでもない。ただ気持ち良かっただけだ。赤い色も綺麗だったし、一度その中に埋もれてみたら、なかなか抜け出せなくなってしまった。
 だが、これをそのまま言葉にしても、三蔵は更に呆れるだけに違いない。
 束の間黙り込んだ悟空は、三蔵が短気を起こす前に、おもむろに手を差し伸べる。
「……何だ」
 まるで手自体と会話しているみたいに、彼はそこを睨みつけ、胡散臭げに言った。
「気持ちいいよ?」
「だから何だ」
「三蔵も一緒に寝てみない?」
「断る」
 にべもない。おまけにそのまま部屋を出ていってしまいそうだったので、咄嗟に法衣の端を掴んでいた。
「離せ」
「やだ。なぁ、ちょっとだけ。本当に気持ちいいって」
「一人で転がってろ」
「一緒に転がろーってば」
「俺を巻き込むな」
「いいじゃん。ね、ね? ちゃんと手で拾ってきたから、土とか虫とかついてないと思うし」
「信じられるか」
「本当に気持ちいいんだってば。なんかさ、からだ溶けそうだよ?」
 ふと、三蔵が困惑顔で見下ろした。
「……溶けそう?」
 同じ言葉で二度問われ、悟空は笑って答えてやる。
「そうなんだ。ちょっと懐かしい感じがするんだ、ここ。こうやってね、さっきから葉っぱ降らせたりしてたんだけどさ」
 彼の見ている前で、葉を掬って己の上に零す動作を繰り返す。
「……なんか、このまま埋まってたら俺も葉っぱになれそうな気がする」
 ひらひら舞う葉は本当に綺麗で、その時悟空は少しだけ真剣に、己が葉に溶け込んでいくことを祈ったかもしれない。
「……明日までこのままでいたら、本当に葉っぱだけになってたりして」
 それでも冗談で笑ったつもりだった。
 だが、それを聞いた三蔵はさっと色を変え――
「消える気か?」
 まだ葉を掬い持っていた悟空の手首を、きつく掴み寄せる。
 すぐには声を返せない。悟空が戸惑っているうちに、彼はこちらの身体の上からも葉を払い退け、紅の中にすっぽり納まっていた上体ごと抱え起こす。
「……三蔵?」
 ついには、しっかり胸に抱き込まれてしまって、更に驚いた。まさかそんな反応が返ってこようとは、予想してもみなかったのだ。
「あの……三蔵、あの……あれ? えっと……」
 彼は何も言わない。ただ、悟空が言葉を話そうとするたびに、腕に少しだけ力がこもる。
 近くに聞こえるその鼓動も、いつもよりわずかに早い。
 己の中から喜びが込み上がるのがわかった。
 今抱きしめてくれているのは、三蔵が悟空を必要としてくれているからに違いない。彼の鼓動が早くなるのも、不安に思ってくれているからに違いなかった。
 良くも悪くも、己が原因で彼の調子が狂うことなどないと思っていた。悟空はまだ半分信じられない気持ちで、その背中におずおずと手を回す。
「あの……消えない、よ? それに、もし本当に葉っぱになっても俺、絶対三蔵の傍にいるし」
「……葉っぱなんかいんねぇ」
 憮然と言う声が愛しくてならない。悟空は彼の下顎に唇を押し当てた。すると再び己を抱く腕が強くなるのを感じる。心の中だけで、離れられるわけがないのに、と、ひとりごちて、あとは三蔵が飽きるまで身動きしないでおいた。
 ところが、だ。多分、身動きしなかったことが却ってまずかったらしい。ようやく腕がゆるんだと思ったら、次に悟空を覗き込んだ三蔵の目は、びっくりするほど切実なのである。
「何考えてる……?」
 三蔵のこと以外考えられるわけもないのに。
「……何も考えるな」
 言葉と一緒に口付けられた。一度、二度。二度目までは軽く触れ合わせるキスだったのに、悟空が弁明しようとした矢先、三度目の本気が降ってくる。
容赦なしに舌を差し込まれた。突然のことに泡を食って引いた顎を逆に掴まれ、しっかり噛み合わさせられる。
 頬に血がのぼるのがわかった。軽いキスは自分から乞いたいくらい好きだったが、あからさまに互いの欲を知らしめるような、深くまで探られるキスは、どう返して良いのかわからない。
 思わずぎゅっと目をつぶる。いつもは幼い緊張を見逃してくれる彼だったのだ。しかし。
「悟空」
 唇の先が触れ合ったような状態で、本当に身体が震え出しそうな声で呼ばれた。
「――目を開けろ」
 従わずにはいられないではないか。びくびくしながら瞼を上げれば、案の定、真っ直ぐにこちらを覗き込んでいた紫暗の瞳に捕まり、瞬き以外で目を閉じることができなくなる。
 そうして、悟空の目を釘付けにしておきながら、三蔵はと言えば、ゆっくり視線を下へ落とすのだ。
 彼が見ているのは悟空の唇だった。たった今まで三蔵のキスを受けて、まだ熱を残したままのそこ。
 妙にどきどきした。多分三蔵はまだ勘違いしているはずで、そのことを何とか弁解しなければと頭は覚えているのだが、彼に見られていると思うだけで、自分の唇も喉も全く自由に動かせない。
 いや、動かせないと思っていた。けれどもどうだろう。開けよ、三蔵がそう小さく呟いて、悟空の上と下との唇に、それぞれ軽いキスを落とすと、そこが自分の身体の一部であることが嘘みたいに従順に、彼の言う通りに動いてしまうではないか。
 しかも、次には「舌を」と改めて言葉で指示され、泣きそうになる。
「……さん……っ」
 訴えてもただ見つめられる。目を閉じてしまうことすら許されず、もちろん、三蔵からの要求というだけで断ることもできない悟空は、それこそ羞恥で総身を真っ赤に染め上げた。
 そろ、と、舌を差し出す。
 彼の唇がそこを食むようにした。別に強く吸われているわけでもないのに、一瞬で身体中の力が抜ける。知らず声を漏らした悟空を眺め、三蔵は小さく笑って言うのだ。
「……キモチイイ?」
 わからない。でもくらくらする。
 そのまま、唇だけではなく、歯で濡れた舌で散々刺激され、とうとう瞼に生理的な涙が浮かぶ頃になると、悟空は自分で立ち上がることすらできなくなっていた。
「まだここにいる気か?」
 耳に直接囁かれる。途端にひくりと肩を震わせる反応に、彼はまた笑みをこぼし、今度は故意に外耳へと唇を触れさせた。
「……悟空」
 軽く舌でなぞられれば、自分がどうにもならない状態まで昂ぶるのがわかった。
 もはや、あれほど美しく思っていた赤い葉の絨毯すら、悟空の眼に意味があるものとして映りはしない。
 震えそうになる指で、三蔵の法衣を手繰り寄せる。
「さん……っ」
「ん?」
「む、こう、行こう……?」
 やっと言ったのに、彼はわざとらしく、まだ悟空の衣服や膝元に絡む、葉の一枚を摘み上げて見せるのだ。
「……これは?」
 そんな問いに、一体どんなふうに答えろと言うのか。
「いらない……っ」
 半分叫ぶようにして、彼の肩口に額を擦りつけた。実際悟空は泣きそうだった。戯れのように口付けられただけで、己の身体は簡単に追い詰められる。三蔵は知っているくせに、いつもいつも意地悪く、ぎりぎりのところで悟空に選ばせる。
「……三蔵がいい……っ」
 言った途端ようやく抱きかかえてもらえた。
 どうにか泣くのを堪えて首筋にかじりついていると、あっと言う間に、さっきシーツを剥ぎ取ったベッドの上に下ろされる。カーテンを閉めっぱなしの寝室は、夕暮れ刻の光も届かず、すっかり夜の薄暗さだ。
 再び口付けられ、今度は余計なことを考える暇もなく、ひたすら舌を絡め合った。自分から求め、望んだ通りに舌先を吸われると、本当に身体中が痺れた。
「……さ、んぞ。三……、ス、キ」
 一生懸命言葉にすれば、音を立てるような軽いキスが返ってくる。
 一方で、シャツの裾から忍び込んできた手は、釦を一切無視して、喉元まで布地を捲り上げた。三蔵は、あらわになった素肌にも早速唇を落としてくる。
 いつになくきつく吸われた。時には皮膚を噛み切らんばかりに歯を立てられもした。やわらかい場所ばかり狙われるので、悟空はいちいち痛みに息を飲まずにはいられない。
 ただ、そうされることは嫌ではなかった。
「いたい、よぉ……っ」
 泣きつくたび、彼の指がこれ以上もなく大事そうに悟空の髪を撫でてくれる。頬を愛撫してくれる。何度もなだめながら、また新しい箇所に唇を降らせる。
 彼の所作は、痛くても甘い。
 特にどんな性感にも触れぬまま、三蔵は悟空の足先にも噛み付いた。ズボンも下着も取り払われ、ふくらはぎから大腿まで、本当に丹念に口付けの痕が付いたはずだ。
「は……ァ」
 それが太腿の内側に及ぶ頃になると、痛みはすっかり快楽に取って変わっていた。
 際どい場所に息がかかるだけで震える。しかし三蔵は、まるっきり知らん顔のまま、次は悟空の身体をひっくり返し、背中に唇を落とすのだ。
「なんで……っ?」
 問いかけても答えはなかった。
 ひとしきりのキスに耐えたあと、もう一度正面から向かい合う格好になる。悟空の身体は今にも溶け出しそうなほどに昂ぶっていた。それでも、こちらを見下ろす三蔵は、法衣の襟すら乱しておらず、その面にも情欲の欠片はないように見えた。
「三蔵……?」
 呼ぶと、わけがわからぬくらい、やさしく頬を撫でられる。戸惑った悟空が再び彼へとすがりつこうとした、その時だった。
「……あかいな」
 赤く内出血を起こした一箇所を、指で辿りながら、彼は言うのだ。
「あんな中にいなくても赤い」
 その時、初めて彼の様子を不審に思った。
 よく見れば眼差しの色も常とは違う気がする。揺れる瞳が、まるで不安で仕方のない子供のようだ。気付いた悟空は、慌てて身を起こそうとした。
「三蔵、どうし……」
「――あれとお前が同じでも」
 ほとんど悟空の声を遮る勢いで、彼は言う。
「まだ逃がす気はねぇよ……!」
 きつく抱きしめられる。唯一のもののように引き寄せられた。悟空は真剣に言葉もなかった。だが、一息に喉まで押し寄せた激情を何と呼ぼう。歓喜は先ほどの比ではない。
 彼の髪を撫でてやる。落ち着くまで、何度も何度も。
 そうして何とか顔を上げた三蔵に微笑みかけ、一番最初に彼がしたように、丁寧に口付けた。
 ゆっくりと法衣の前をはだける。アンダーシャツ越しに胸にもキスをして、ぎゅうっと頬を押し付けるのだ。
「らしくないよ、三蔵」
 こんな彼も愛しいけれど、もっと傲慢でいてくれていいと思う。
「良く見ろって。これモミジの赤じゃないよ? 三蔵のだっていうシルシだろ?」
 とくん、と、彼の鼓動が鳴るのがわかった。
 彼に顔を隠し、どうしようかと悟空は笑う。今、本当に心の奥底から彼が好きだ。
「……なぁ、三蔵」
 続き、しよ?
 言えば、今度こそ熱の灯った腕が、強く深く抱き返してくれた。

 尖った胸の先を捏ねられ、どうしようもない溜め息が出た。先に昂ぶってしまった悟空にとって、ともすれば、そこで遊んでいるような三蔵の丁寧さはつらい。
「も……っ、いいから、三蔵……っ」
 まだ違う場所で寄り道しそうな手に己の指を絡め、下肢へと導く。三蔵は、悟空の性急な求め方に喉で笑うと、身体ごとそちらへ移動していった。
「……すごいことになってるな」
 既に濡れそぼったそれを目にした彼の声は嬉し気だった。聞いた途端に隠してしまいたくなったが、悟空はじっと唇を噛んで羞恥をやり過ごす。
 常なら、こんな状態の己を、無抵抗で晒すことに我慢できなかっただろう。けれど今回悪かったのは絶対に三蔵だ。先に悟空の身体中に口付けを落とし、時には噛み痕までつけてくれた。彼に性的な意図がなかったとしても、際どい場所を見られれば当たり前に恥ずかしかったし、触れて口付けられれば熱だって溜まる。
 極め付けが先ほどの抱擁である。
 悟空は彼に触ってほしくて堪らなかった。また、彼が欲しがってくれる分だけ、自分を与えてしまいたかった。
 自分はこれほど三蔵のものなのだということを、誰でもない彼自身に知って欲しかったのだ。
 そろ、と、先端に指のはらが添えられる。
 思わず息を飲んだ悟空の太腿を抱え、大きく開かせ、三蔵は、腰ごと彼の膝に乗り上げるような体勢を作らせた。目を開けば、己の昂ぶりが視界に入って泣きたくなる。ただし、三蔵の目的は、悟空を居たたまれなくすることではなかったようだ。
 ゆるい手淫を繰り返しながら、更に奥を、もう片方の手が撫でるのがわかった。
「こっちも……」
 声は途中で途切れた。悟空には彼が何を確かめたのかが容易に知れた。決して自然には濡れぬ場所だ。けれど今は違っている。
 すぐに指が押し込まれた。
 ぬるりと滑る感触がたまらない。
「ん……う、んン……っ」
 何度か貫かれただけでもう駄目だった。粘膜の内は自分でもわかるくらいに充血し、差し入れられる三蔵の指を食い締める。
「ふ、んっ……は、あん……っ」
 ところが彼は、今にも弾けてしまいそうな前には、申し訳程度の刺激しかくれず。内の最も感覚の鋭い場所に触れるでもなく。散るべき熱もまた、一向に散らしてはくれないのだ。
「さ、んぞ……も、くるしい……っ」
 目を上げた彼がかすかに笑う。だから今度こそ望みを叶えてくれるのだと思ったのに。
「もうちょっと待ってろ」
 無慈悲に根元を押さえられ、そうした上で、ちゅ、と、張り詰めた先端に小さなキスを落とされる。
「――ヤッ」
 全身が跳ね上がった。
 そのあとは、それまでの穏やかな愛撫が嘘のようだった。舌先で蜜を舐め取られ、奥は奥で、押されるだけで目の奥に火花の散るような箇所を掻き毟られる。
「いやっ、いやっ、やだっ、やだぁ!」
 ほとんど逃げ出すように身をよじった。何度悲鳴を上げたのかすら、悟空の記憶にはない。
 ねっとりと銜え込まれ、ようやく許された時には、性も根も尽き果てていた。三蔵の口を汚したことも思い至れず、腕も足も、どこもかしこもが熱に犯され、満足に動かない。
 その時の悟空は、本当に三蔵のためだけの器官になり果てていたはずだ。にもかかわらず、再び、蕩けきった後ろに指を飲まされるのを感じ、どっと涙が溢れた。
「ひど……っ、もうやだ……っ、やだぁ」
 絶対にわからないはずはないと思うのだ。
 こんなに彼を欲しがっている悟空を、息さえかかる距離で抱きしめている彼が、わからないはずがない。
「足りないか?」
 そう訊く三蔵の声だって熱く掠れているではないか。
 悟空は重い腕を必死に伸ばし、すっかり着崩れた彼の法衣の襟元を引っ張った。正面から互いの胸を重ね合わせ、形の良い唇に己の唇をぶつける。
「ひど、い。まだ、こんなの着て……っ」
 悔しくてどうしようもなくて、彼のアンダーシャツの裾をジーンズから引っ張り出す。快楽に力の抜け切った手は震えるばかりだったが、三蔵の助力もあって、どうにか脱がすことに成功した。
 見えた素肌には、早速噛み付いてやった。
 実は、彼の肌に痕を残すようなことをするのは初めてだった。悟空にしてみれば、三蔵は三蔵自身のものであって、悟空が好きにして良いような存在ではない。情事の痕にしても、彼が悟空の身体につけるものを喜びこそすれ、己が残すなどとはもっての外だったのだ。
 なのに。
「痛ぇよ」
 ここまでされて、どうしてこの男は笑うのだ。
 怒ってくれなければもう噛み付けない。いっそ歯型だらけにしてやろうかと思った勢いもどこへやら、次に悟空が彼の肌に落としたのは、至極遠慮がちな、本当にぎこちないキスだった。
 小さく。もしかしたら、明日にも消えてしまいそうな赤い痕が、彼の鎖骨に初めてできる。
「……ちゃんと付いたか?」
 やさしく髪を掻き混ぜられ、鼻の奥がつんとなった。
「……なぁ、もういい?」
 その胸に額を擦りつけながら訊いた。
「もう欲しいよ……?」
 素直に言うと頭や頬を撫でてもらえた。
 どんなに意地悪でも、悟空は彼のことが大好きだった。

 じっくりと下から貫かれる。
 ぐずぐずになった下肢は開かれる苦痛など一切知覚せず、ただ、自分のものではない熱が、内で息づいていることに戦慄くばかりだ。
 ゆるく揺すられるだけで足の先まで快楽が回る。最初何とか突っ張っていた手はすぐに肘で折れ、三蔵の上にしな垂れかからずにはいられなくなる。
「ふ、ア、ァあ」
 彼の耳元だというのに声も抑え切れない。
 涙を零しながら、恥も外聞もなく腰を振り立てる悟空は、彼の目にどんなふうに映っていたのか。
 もう臨界も近い間際、束の間まぶしげに目をすがめ、こちらの耳元に口付けをおくるかたわら、三蔵が鮮やかな囁きを、ことり、落としていった。
 ――とけそうだ。
 悟空の方こそ死にそうになった。
 
 
 * *
 
 
 抱き合った余韻で、まだそこここに熱の残る身体に、ひらと降るものがある。
 ふと目を開けてみれば、三蔵が、横たわった悟空の上から、あの赤い葉を降らせていた。
「……キレイだな」
 さっきとは雲泥の穏やかさで彼は言う。
 悟空も笑って、そっと手を差し出した。
「あとで一緒に遊ぼう……?」
「あとでな」
「うん。ごはんも……」
「取っといてやる」
「うん……」
 瞼が重い。握ってもらった手のひらに少しだけ力を込め、悟空は最後の言葉をつぶやいた。
 俺、ずっと三蔵のだから。
 それきり深く眠り込んでしまった悟空は知らない。
 絡んだ相手の指が自然と力を抜くまで、三蔵がそこに立ち続けていたことを。
「簡単にずっとなんて言うな」
 苦く、それでいて奇妙に甘い彼の言葉を聞いたのは、赤く染まった落葉だけであった。