邪魔だテメェどっか行け光線

 仕事帰りに寄ったという三蔵と悟空が、悟浄宅のとある一室に居ついて早一時間。八戒の使いで晩餐用の牛肉を買い足してきた悟浄は、肉と引き換えに悟空用のケーキを受け取り、件の部屋のドアを開け放つ。
 と、何の気なしに普通の声音で話そうとして、慌てて口をつぐんだ。
 ソファーの上、その悟空が一生懸命人差し指を唇に当てている。見れば、彼の隣では、不機嫌顔の三蔵がじぃっと両目を閉じていた。
「……寝てるのか?」
 唇の動きだけで問うと、こくこくうなずいて肯定される。
 珍しいこともあるものである。悟浄は極力足音を忍ばせ、彼らの向かいに辿りつく。改めて正面から見ても三蔵は目を開けない。いつもの彼であれば、どこにいても警戒心の固まりみたいにしていて、例えば悟浄がそちらへ手を延ばそうものなら、届く前に叩き落とされることがほとんどだ。寝ていたとしても、気配を感じるや否や目を覚ます方が当たり前だったし、こうしてまじまじと寝顔を見ること自体初めてだったかもしれない。
 相変らず顔の造作だけは整っている男だと思う。
 常のキツイ拒絶がないのを良いことに、悟浄はじっくり三蔵の顔を覗く。頬や瞼に落書きしてみたい欲求に襲われるが、ひとまず頭で考えるだけで我慢した。実際に落書きしようものなら己の命が危うい。ついでに物音を立てるのにも気を配る。万一起こそうものなら、途端に銃口がこちらへ向くのも予測できたからだ。
 三蔵が無防備にしているのは悟空に対してだけだった。まだまだ彼らとの付き合いは短くとも、それくらいのことなら二、三度顔を合わせれば判断もつく。
 悟浄は悟空へのケーキ皿を持ったまま苦笑した。
「ここじゃ暇潰すもんねぇだろ? あっちの部屋行くか?」
 一応、三蔵を起こさぬため、悟空を退屈させぬための気遣いだ。ただ、断られることも知ってはいた。
「サンキュ。でもヘーキ」
 案の定、悟空は短く答えて隣を覗く。悟浄は思わず溜め息をつく。見ているだけでシアワセ、と、彼の横顔に書いてある。
 ――ハイハイ、お邪魔さまでした。
 飽きれた悟浄が、とっととケーキだけ押し付けて去ろうとした時のことだ。
 三蔵の身体がぐらりと傾いで、悟空の肩に寄りかかった。皿を受け取ろうとしていた彼は、咄嗟に姿勢を元へと戻す。三蔵は未だ目を開けない。最初と同じに不機嫌そうな顔をして、もうちょっと安らいで寝ろ、と、妙な突っ込みを悟浄に思い浮かべさせたりした。
 しかし、何ともまぁ……。
「……ケーキ、食えるか?」
 あからさまに緊張している素振りの悟空がおかしかった。
 うっすらと頬を赤くして、肩口にある三蔵の頭にカチコチに固まっている。とりあえずケーキへと泳ぐ視線は、だがそれを食べ物とは理解していないかのようだった。
 いつもは暇があれば腹減ったとわめく子供が、ちょっと三蔵に寄りかかられただけでこうなるわけだ。悟浄は喉を鳴らして笑う。
「なー、お前、そいつのことスキなの?」
 純粋な興味で言ってみたのだ。もちろん悟空は当然の顔でうなずいた。そうだろうそうだろう、と悟浄もうなずく。
「――で。どのくらい?」
「ど、どのくらい? ……って、ナニ?」
 量を訊かれることなど初めてだったのか。彼は意外そうにまばたきした。
 この時点で、自分でもちょっとアホな質問をしている自覚はあった。八戒などが隣で聞いていたら、余計なお世話ですよ、と悟浄をたしなめていたかもしれない。それでも、悟浄の腹の中には、あわよくば三蔵の弱みでも聞き出せないかという下心があった。
 出会った時以来、三蔵にはなぜかやり込められている悟浄である。相手の弱みが悟空だということはわかるのだが、突付いてやれそうな手持ちの札が決定的に不足していた。おかげで依然として三蔵に対する己の立場は弱い。
 いつまでもやられっぱなしでいると思うなよ。
 悟浄はここぞとばかりに復讐の炎を燃やす。
「どのくらいはどのくらいだろー? リンゴくらいとか、ミカンくらいとか、いろいろあんじゃん」
 リンゴ? ミカン?
 無理に答える義務もないのに、律儀な悟空があわあわと表現を探す。
「ものに例えればいいのか?」
「まー、ものでも何でもいいんだけどよ。このくらいってはっきりわかる感じで」
「うーんと……うーんと……」
 彼がケーキくらいとかハンバーグくらいとか言ったら、絶対にそれで三蔵をからかってやろうと思った。別にケーキでもハンバーグでも好きなことに変わりはないのだから、馬鹿にすることではないだろうが、「お前、悟空にケーキくらい好かれてるらしいぞ」と言った時の三蔵の顔は、さぞ見ものだろうと思うのだ。
 さぁ言え、早く言え。何度も小声で急かす悟浄につられ、悟空は迷いつつも口を開く。
「じゃ、じゃあ……イノチ1個分くらい?」
 聞いた悟浄は、思わず口を閉じた。
 ふぅん、そーなんだ。取ってつけたように相槌を打った声が上滑りする。悟空は自分で言った言葉の意味をわかっているのかいないのか、それ以上追求されないことに安心していた。
 これではからかえない。今更ながらに、尋ねた自分を激しく後悔する。
「そーか、そーか。じゃー、まー、お前らは夕飯できるまでここにいろ」
 何だか一気にどうでも良くなった。悟浄は言い置いて、とにかくケーキ皿を押し付けここから退散しようとした。
 ところが、である。
 ずるりと。本日二度目のタイミングで、三蔵の身体がずり落ちる。慌てた悟空が男の肩を抱き寄せた。そうして出来上がった光景は、膝枕な上に頭抱っこという凶悪な構図である。
 己のこめかみがぴくりと引きつった。
 悟空の腕の中で、厚顔な最高僧は不機嫌そうに眉をひそめたままだ。目は確かに閉じられている。しかし。
 しかし、だ。
「ご、悟浄……」
 真っ赤な顔をしたまま、三蔵の頭に腕を敷かれて動くに動けない悟空が言う。
「ケーキ、あとでもらう。八戒にごめんって言っといて」
「……あー、うん。ま、仕方ねーな」
 さすがに笑いも引きつりそうになった。
 悟浄はもはや三蔵が寝たふりをしていることを疑ってはいなかった。男を信じきっている悟空は騙せても、端で見ているこちらには丸わかりだ。何だってケーキを渡そうとするたびに動くのか。つまりは、悟空の気がよそへ向くこと自体を阻んでいたわけだ、奴は。
 不機嫌そうな顔からは、今やしっかりとある意思が読み取れる。
 曰く、邪魔だテメェどっか行け。
 奴の思い通りになるのは悔しかったが、ここでこれ以上、視界中の物言わぬ圧力に耐え続ける気概は、悟浄にもない。
「……夕飯できたら呼ぶ」
「うん、ありがと」
 結局、渡すはずのケーキひとつ渡せないまま、部屋から出た。
 キッチンでは、悟浄の疲れきった姿に気付かない八戒が、楽しげに料理を続けている。