I respect your bitter memory

 今日の男子の体育はサッカーで、しかも他クラスと合同の授業になるらしい。
 試合ができる!と円堂が喜んだのも束の間、合同授業のもう一クラスが鬼道のクラスだったから、さわぎ過ぎてしまったのだ。
「サッカー部はいつもと違うポジションにつくように!」
 体育教師が余計な一言を付け足した。
 おかげで円堂のクラスでは、豪炎寺がキーパーに選ばれた。
 しかも試合参加は交代制で、クラスの男子三分の一が前半を丸々見学につぶすことになる。貧乏くじはジャンケン勝負となった。
 そして円堂は、前半をグラウンドの隅で過ごしている。
 意外だったのは、隣に鬼道がいること。
「鬼道もジャンケンで負けたのか?」
「いや、自分から降りた」
「どうして!」
「サッカー部だからと強制的にキーパーに決まった。なら後半だけで充分だ」
 キーパーだって楽しいのに、と言うと、俺はできるだけボールに触っていたい質なんだ、と返ってくる。
 確かにキーパーはボールに触っている時間は短いかもしれない。
「ちぇっ。鬼道のキーパーもおもしろそうだけどな」
「豪炎寺のキーパーで我慢しておけ」
「あいつはキーパーの位置にいてもキーパーじゃないよ。全部蹴り返すって言ってたし」
「……なるほど。その手があるな」
「鬼道!」
 冗談とも本気ともつかない顔で、鬼道は淡々と分析する。
「そもそも俺がキーパーに立っていたら、お前も豪炎寺も無茶をする」
「え、そうか?」
「絶対する。特に円堂、お前はむやみやたらにシュートを打ってきそうだ」
 円堂はぎくりとした。
 まぁそんなこともあるかもしれない、ないとは言い切れない ── いやある、多分。
「豪炎寺はもっと悪い。あいつは自軍のゴールから相手ゴールまでボールを蹴りつけるくらいのことはする」
「え、いやぁそこまでは……」
 する、多分。豪炎寺は容赦しないやつだと円堂も常々思っている。
「つまり戦略的撤退だ。そんな危険な位置に、俺は一試合分も立っている気になれん」
 鬼道がにやりと笑って結論付けた。円堂も苦笑いしかできない。
 仕方ないので、二人でグラウンド端の石段に腰掛けて、大人しく観戦していることにした。どうせお互い後半には参加が決まっている。豪炎寺は勝ち組で後半も出るから、鬼道の予測は現実になるかもしれない。
 クラス対抗の試合は、それなりに盛り上がって見えた。見学組はどこも円堂たちと似たり寄ったりだが、時には歓声も聞こえている。
 のんびりとした試合。晴れた空。
 たまにはこういうサッカーも良い。
「……円堂は、最初からキーパーだったのか?」
 試合に目を向けたままの鬼道の声はやわらかい。円堂は、彼もきっとサッカーなら何でも好きなんだろうと思いながら空を見上げた。
「そうだなぁ……俺はじいちゃんに憧れてたからさ、キーパー以外思いつかなかった。鬼道は最初からミッドフィールダー?」
「別にボールを蹴れていれたらどこでも良かったんだが。気付いたらそうなっていた」
「ふぅん。でも向いてるよ」
「良く言われる」
 不意に苦いものが声に混じった気がして、円堂は鬼道を見つめた。
 彼は眉をひそめ、どことなく苦しげな表情をしていた。こういう表情をしている時の鬼道は、大抵後悔のある過去を振り返っている。
 円堂の手は過去まで届かない。鬼道がそれを望んでいないからだ。
 本当は少し寂しい。
 円堂は何かを言う代わりに、彼がいつものようにジャージの上に引っ掛けていた、青いマントを引っ張った。
「じゃあ、これは? こっちも最初から?」
 明るく尋ねれば彼の眉間の皺もゆるむ。
「いや……こっちは帝国に入ってからだ」
「もしかしてユニホーム?」
「そんなわけがあるか、制服だ」
「ええっ?」
 素直に驚いたら、くつくつと笑い出す彼。
「あっ! 絶対ウソだろ!」
 言葉だけで怒って、結局円堂も笑ってしまった。
 鬼道は最近良く笑うようになった。ちゃんと雷門が楽しいと思ってくれている証拠だ。
 大丈夫、円堂が寂しがる必要はない。
「なぁ! これ着て口笛吹いたら、俺にも皇帝ペンギン出せるかな?」
「さぁな。試してみるか?」
「いいの?」
 言っている間に、こちらの肩にマントが乗せられていた。ついでに襟元の紐までしっかり結ばれて、無駄にどきどきさせられる。
 鬼道は時々こういうことをする。何だかくすぐったくって、いつも円堂は頬を赤くして笑うことしかできない。
「へへっ。鬼道ごっこできるな、これ」
「ならばもう少し偉そうにしろ」
「自分で言うか?」
 気安い鬼道が嬉しい。
 円堂は、実は最初からいつ渡そうかとタイミングを計っていたものを取り出し、彼の胸元に押し付けた。
「……キーパーグローブ?」
「おう。豪炎寺にも貸してやったんだ。サッカー部はいつものポジション以外って言われたから、もしかして鬼道もキーパーかもと思ってさ。スペア持ってきた」
 鬼道はちょっと驚いた様子で、使い込まれたグローブに視線を落としている。
「まぁ、豪炎寺と同じ戦法なら、あんまり必要ないかもしれないけど」
「いや……使わせてもらう。いいか?」
「もちろん」
 鬼道は、何だかひどく大切なものみたいに丁寧にグローブをつける。
「それ付けてれば、きっと何本だってシュート止められるぞ!」
「だからって何本も無茶打ちしてくるなよ、円堂」
「……まぁそれはともかく!」
「いや、ちゃんと約束しろ。というか、豪炎寺にまず伝えておけ、キーパーがシュートを打つな、ついでにファイアトルネードも打つな」
「うーん、言うだけ言うけどさぁ……ムリだと思うぞ?」
 あいつ容赦ないからなぁ、円堂があさってを向くと、鬼道も深々と溜め息をついてよそを向く。
 しばらく沈黙が落ちた。
 真昼に近い太陽の光がグラウンドをキラキラと輝かせていた。
 円堂は、サッカー部の練習と違い、あちこちに乱れるパスを見つめる。どうにかするとすぐにラインを割って、相手ボールになる試合。敵も味方も笑いながら走っている。
「大丈夫、何とかなる」
 直感をそのまま声にした。
 隣で鬼道が笑ったようだ。
「豪炎寺は容赦ないけど、でもそれって相手が鬼道だからだろ。力いっぱい蹴っても平気だって知ってるんだ」
「……さすがだな」
「うん?」
「円堂はのせるのが上手い」
 円堂も思わず笑った。
「鬼道は平気、俺も知ってる!」
 ついでに言って、それから弾みをつけて立ち上がる。いつもと違って青いマントが風を含む心地よい感触があった。
 前半終了の笛が響く。
「 ── よぉし、勝負だ、鬼道!」
「仕方ない、付き合うか」
 鬼道も立ち上がり、円堂がグローブをつけた手でいつもするように、ぽんと音を立てて両手を合わせた。
 その日の試合は、結局一対一で引き分けた。
 鬼道の予測は現実になり、彼の守るゴールは二度ほど豪炎寺の奇襲を受けたが、鬼道もキーパーらしからぬ蹴り返しを見せ、最後は体育教師に止められて、勝負は水入りに終わった。
 ちなみに円堂は、マントをつけていても皇帝ペンギンを出せなかった。
 口笛の吹き方が悪いと鬼道は言うが、本当のところはわからない。