01
平気だ、そう言って笑う遼。当麻は溜め息をついてそっぽを向いた。五人いた仲間は離れ離れ。今はたった二人きりで、人界のものではない不思議な色の空に見下ろされている。奇妙にぬるい風が吹いていた。鼻をかすめる大気の匂いですら明らかに違うもの。妖邪兵の気配こそ感じないが、互いの緊張感が頂点に達しようとしているのはわかっているのだ。それなのに――平気だ?そんなわけがない。当麻はそっぽを向いたまま近くの遼の手を取った。鎧ギアに遮られ、相手の肌の様子は伝わらない。それでも当麻には、今握ったその手が緊張で冷たくなり、かすかに震えていることが想像できた。当たり前のことだった。もうずっと長くぼろぼろになりながら命を懸けて戦っている。この瞬間が、二人が二人でいることのできる最後の瞬間かもしれないのだ。
「……バカだな」
上手く言えずに、結局当麻はそんなふうに呟いた。遼からの答えはなかった。ただ言った途端にその手に力がこもり、まるで今離したら消えるとばかりに懸命に指を絡められる。
「……死ぬな」
次に聞こえた声は、先の強がりに比べひどく掠れて弱い。けれど、誰のどんな言葉よりも当麻を奮い立たせる。
智将とは名ばかりで、もう小賢しい策を練り出す余裕すら失ってしまった――
だが、どんなにぼろぼろになっても、彼だけはこの身と引き換えにしても守るのだ。かたく誓い、天空は決然と頭を上げた。
02
当麻はどこまでも思わしくない戦況に溜め息をついた。
妖邪界の空の色は相変わらず薄明るく、微妙に七色に輝くようで、決して人が安らかに眠ることのできる色ではなかった。それでも他に遼を休めてやる場所が見当たらない。家屋の中は浮遊する地霊衆で溢れており、かといって物陰は奇妙なまでに静か過ぎ、静寂こそに心が騒ぐ。花は咲き乱れ、水は澄み、気温は穏やかではあったが、そのどれもに生気が感じられない。
完全に意識を失った状態の遼も、無意識のうちにその不自然さに苦しめられているらしい。時折むずがるような声が聞こえている。まるで大気にまで無味無臭の毒がひそめられているかのようだった。
「せめて風が吹けば……」
当麻は思案し、宙を見る。天空高くには地霊衆が飛び交っていた。気流を変えるようなことをすれば、彼らが盲目であったとしてもさすがに気付かれる。しかし。
「う……ん……」
苦しげにする遼のこめかみに、汗で髪が貼り付いている。せめて、と、思うのだ。せめて一時だけでも安らかな眠りを与えることができれば、と。
当麻は翔破弓を手に取った。白炎に「遼を頼む」と声をかけ、足音を忍ばせ彼らから遠ざかる。そうして、彼らの姿が見えなくなったところで近くの屋根に飛び上がった。大棟を蹴り上げ別の屋根に着地することを繰り返し、高所まで一気に翔け登る。
塔の天辺に立った。
地霊衆の鳴らす笙の笛がかすかに聞こえてくる。
集中を乱す音を深く呼吸することで意識から締め出し、当麻はゆっくりと矢をつがえた。弓を水平に構えて引き絞る──びん、と、空を震わす弦の音。意思を伴った金の矢は、光を撒き散らしながら一直線に地の果てへと走った。
浚われた空気が、すぐさまゆるやかな風に変わる。当麻の前髪が揺れた。大気が動いた証であった。
当麻は立て続けに三度それを繰り返し、四度目を試みようとしたところで、大げさに轟いた足音に集中を乱された。数千の妖邪兵たちが、重い鎧靴で屋根瓦を砕きながら向かってきているのが見て取れる。
予想を違わぬ展開に失笑が漏れた。
「……ま、こんなものだな」
とりあえず、動き回って敵を散らさなければならない。
風は、いくらかでも遼の髪を乾かしてくれただろうか……?
当麻は最後にちらと後方を見下ろし、それからは迷うことなく近くの敵へと矢先を向けた。