ずいぶん早くに待ち合わせ場所に着いてしまった。
カカシは晴れ渡った空を見上げ、白く色づく呼気を吐いた。
今朝は少し肌寒い。明け方に携わった任務が水路を行くものだったこともあって、カカシの身体は芯まで冷え切っている。にも関わらず、待機所で暖を取ることもせず、ナルトと約束した場所に直行した。
今朝は慰霊碑とも向き合っていない。
ナルトのいなかった二年半の間に、カカシは少しだけ変わった──と自分では考えている。長く向き合わずに済ませていたことに立ち向かう決意をしたのだ。自分の身体にありながら、自分のものとは思えなかった左目を自分のものだと信じた。これはカカシにとっては大改革だった。おかげで毎朝慰霊碑の前に佇む時間も短くなった。今では、オビトの名を見て浮かぶのは謝罪や悔恨ではなく、未来への強い希望だ。カカシはこの目を使いこなさなければならない。今度こそ、自分の持てる力全てで大切なものを守るのだ。
「はぁ……さむ」
ぼんやり呟いて緩みそうな頬を誤魔化す。
ナルトの気配が近づいてくる。まだ待ち合わせの時間には早い。遅刻常習犯だったカカシを知っているだろうに、こんなに早くにやって来て──
「あれ、カカシ先生?」
声を待ってからカカシは振り返った。ナルトは木の上にいた。早朝から元気に飛び回って来たらしく、衣服にたくさんの木の葉をつけ、地に降り立つ。
「えー、なんで来てるんだってばよ?」
「失礼だねぇ。いいでしょ、たまには。お前こそこんなに早く来てどうするの、先に用があるんだったら済ませておいで」
「別に用なんかねーもん。今日はカカシ先生と修行の日!」
本当にそれだけが嬉しいことみたいに笑うから、カカシも苦笑うしかない。
「相変わらず修行好きだねぇ、楽なもんじゃないと思うけど」
「いーの。オレってばカカシ先生とする修行はスキ!」
「ふぅん?」
「何だかんだ言ってずっと傍にいてくれるもんね」
聞けば、自来也の修行はけっこうな放任主義らしい。その点、カカシは本を読んでいても何となくこちらに注意があることがわかるそうだ。
「修行なんか一人でするのが当たり前だって言うのもわかるんだけどさー」
ナルトは口を尖らせ言う。寂しがりも相変わらずだった。目線はずいぶん近づいたが、ナルト自身はあまり変わっていないように見えた。
カカシはナルトの襟首に絡んだ木の葉を払う。
気付いたナルトはぱっと表情を明るくした。些細なことで気分を変えるのも相変わらず。そして、カカシが自分から手を延ばしてナルトに触ることを嬉しそうにするのも変わらない。
「……どれだけ森の中走ってきたの」
「だって全部懐かしいんだってばよ。木ノ葉の里ってキレイだったんだなぁって。たった木一本見てるだけでいろいろ思い出して、もう足が止まらなかったんだってば」
頬を赤くして話すナルトからは、ナルト自身の高揚した気持ちが熱になって外へと発散されている印象があった。まるで天然のストーブである。悪戯心を起こしたカカシは、わざと己の冷えた指先をその首にぶつけてみた。
「うっひゃ!」
途端に身を竦め、信じられないものを見るようにカカシの手を凝視する。
「先生、その手、何だってばよ!」
「んー?」
「何でそんなに冷てぇの?」
ごめんと謝って早速離れるつもりが、逆に手を取られ、ナルトのぽかぽかする両手に包み込まれた。しかもはぁっと熱い息まで吹きかけられて、カカシの方がたじろいでしまった。
「いや──ナルト、いーから」
「でも冷たいだろー?」
「いやいや。オレあったかいの苦手だし」
「え、先生、変!」
「変ってお前ね」
だから離せと言いたかったのだが、カカシが言葉を選んでいるうちに、今度はナルトは自分の頬にカカシの手を乗せた。
ナルトの頬は、真っ赤に熟れた色とは反対に、早朝の風を受けたためか冷たかった──いや、冷たいがどことなくあたたかい。
「じゃあ、この辺の温度がちょうどいいってばよ」
ナルトはカカシの手を頬に当てたまま無邪気に笑う。そんな顔を見ていると、カカシも無理に離れようとするのが馬鹿らしくなってしまった。
本当にナルトは変わっていない。少なくともカカシに向けるものは何も変わらない。
「困ったねぇ」
カカシは苦笑った。これを守りたかったからこそ二年半もかけて己を変えたのだが、まさか本当にそのままの形で再会できるとは思っていなかったのだ。
手の下の頬を軽くつねってみる。途端に「いってぇ」なんて、笑顔のまま派手に痛がって見せる子供の頭を、もう一方の手でぐしゃぐしゃと撫で回し。
「お前、ふやふやしてる……、早くかたくなんなさい」
「かたく?」
「そ。かたく」
どんなに叩かれようと何者にも傷つけられないくらいに。
カカシが心で呟くことを知っているのかいないのか、ナルトは奇妙に透明な眼差しでこちらを見上げた。
「……先生がそう言うんなら、筋肉ガチガチになるよう頑張るけど」
「けど?」
「本当にそうなっていい?」
実はぎくりとした。己の腕でそのやわらかさを守りたい欲求を隠し、カカシは笑った。
「なんなさいよ、いっそ鋼鉄のごとく」
「コーテツゥ?」
胡散臭げに見上げるナルトの両頬を、心行くまでぐにぐにと押し潰し、カカシは「さて」と空を見上げる。元々の待ち合わせ時間にも届いたようだ。そろそろ修業を始めよう。