掌編

 こんなところにいた。
 エドはやっと見つけたロイの姿に溜め息をついた。いや、姿、と言ってしまうと語弊がある。正しくはロイの足だ。司令部内にある備品保管庫の、中二階の板間から靴先だけが覗いている。
 どうやら眠っているらしい。
 ホークアイの話では、一時過ぎに昼の休憩に出かけたと言っていたから……今の時点で既に一時間半の休憩になっている。ロイが指揮官でなかったなら、問答無用で罰則を与えられるべき怠惰である。
 ただ、ロイに近しいものたちは、彼が仕事を疎かにしない男であることを知っていた。最近は難しい案件に忙殺されていたとも聞くし、ホークアイの気遣わしげな様子を思うと、少なくとも故意にさぼっているわけではないと思われているようだ。つくづく部下に恵まれた男である。
 だが、故意のさぼりでないとするなら、ロイはなぜ備品保管庫なんて辺鄙な場所に来たのか。
 エドは興味津々で梯子をのぼる。
 疑問は中二階を覗くや否や解けた。彼の手元に、さっきまで握っていたものが落ちたらしい状態で、小箱が転がっていたのだ。
 小箱。それとライター。灰皿代わりの空き缶。
 ちょっと意外だった。ロイが煙草を吸うとは知らなかった。
 いや、吸っても別におかしくないと思うのだが、何だってこんな隅っこで、隠れたようにして吸うのか。まるで喫煙現場を見られたくない子供のようではないか。
「……変なの」
 エドは梯子に乗ったままこっそり笑う。
 ロイは少しも気付いた様子がない。ホークアイたちを思えばとりあえず揺り起こすべきなのだろうが、何となく好奇心の方が先立ってしまって、眠る相手はそのまま、エドは煙草の小箱へと手を伸ばしていた。
 音が立たぬよう取り上げ、銘柄を確かめる。匂いも嗅いでみた。
 あまり嗅ぎ慣れない匂いだ。
 ふうん、と、思った。
「──…………」
 一本取り出す。
 小さな円筒状のそれを、右から見たり左から見たり。硬さを確かめてみたり。あらゆる角度から吟味して、また、ふうん、と、思う。
 煙草自体に興味はない。興味があるのは、ロイが喫煙するということである。
 エドは漠然と想像した。あの節の目立つ指が、このかすかにやわらかく華奢なものを潰さない繊細さで挟んで、極当たり前のように口に持っていく。
 ……ふうん……。
 何だか無性に見てみたい。
 ロイはまだ目を閉じている。エドは再び手を伸ばした。指には、さっき小箱から抜き取ったばかりの煙草。それを「そうっと、そうっと」と念じながら、彼の指の間に差し込んでみる。
 人差し指と中指の間。
 こんな感じだろうと思う形にはしたものの、どこかイメージと違う気がする。
「……こう? あれ? ……こっちか?」
 こそこそ位置を変えていたら、不意に手首を掴まれ驚いた。
「……何してるんだい」
 いつからそうだったのか、ロイがしっかり目を覚ましているではないか。
「一本ちょろまかしてくれたら、からかおうと思ったのに」
「ちょろまか……っ、するか、そんなこと!」
「どうして? 君もこんなものに興味を持つ年頃だろう?」
 エドは掴まれた手を邪険に振り払った。ロイはやれやれと身を起こし、胡坐をかくと、大しておもしろくもなさそうな顔で指に残った煙草を眺める。
「……吸うかい?」
「いらない」
「覚えておくと役に立つこともあるが」
「いらないっつの。それより起きたんなら仕事しろよ。もう三十分も余分に休憩とってるらしいぞ」
「それはしまったな」
 全然しまったという雰囲気ではない。実は本当にさぼっていたんじゃないかと疑うエドに、ロイは再び。
「で?」
「ん?」
「これを私に持たせて何がしたかったんだい?」
「……別に何でもない」
「本当に?」
「何でもない!」
 そうかい?、依然として胡散臭げにこちらを見る。相手のしつこさにむかっ腹を立てたエドは、景気良く「見たかっただけだ!」と切り捨てようとして、その主張の他愛なさに、はたと我を顧みた。
 見たかっただけ。
 それは間違いではない。見たことがなかったから。ロイが煙草を吸うなんて知らなかったから、ただ知っていたいと思ったのだ。
 知っていたい? 誰を? 何を?
 煙草を吸うロイを?
 
 いや。今までエドが知らなかったロイを。
 
 思い当たった瞬間、エドは嵐のように赤面した。それこそ正面にいたロイまでもがぽかんと口を開けて驚くほどの、羞恥の極みの形相だった。
「は、鋼の……?」
 彼の手がこちらに伸びるのも見ていられない。とにかく焦ったエドは、己が梯子の上であったことすら忘れて大慌てし、見事に段を踏み外して転倒する。
「鋼の!」
 上から呼び声は降ってくるが、尻が痛いやら恥ずかしいやらで返事もできない。
 だって今の今まで思いもしなかったのだ。
 確かに嫌いではなかった。少し好きだとも思っていた。でもまさか──
 恋をしていたなんて。
「……ウソだろぉ……」
「鋼の? 鋼の、大丈夫なのか?」
「ウソだぁ……」
 すぐにも中二階から飛び降りそうな男に、泣きそうになりながら来るなと言い渡し。エドは気付いたばかりの事実に愕然と肩を落とす。
 そうしてしばらくは、上と下とで「下りる」「下りるな」の攻防が続いた。常ならばやりたいように行動しただろう男は、しかし今日に限って無理にエドの意見を退けはしなかった。
 言い争いもやみ、沈黙が落ちて間もなく、上ではライターに火がともる音がする。
 今なら彼の煙草を吸う姿を見ることができるのだろう。わかってはいても、エドはどうにも動き出すことができなかった。