ガラクタマーチ

 気付けば、重い荷物は全部
 こいつが持ってた。


 * *




 冬が近いのかもしれない、そう思いつくくらいには空気の冷たい夜だ。しかし寒暖の差を感じていたのは三蔵だけらしい。傍らの悟空は、湯上り後という状況も手伝って、まるで真夏のような格好でそこにいた。とは言え、彼が風呂を使い終わって既に二時間近く。人と人ならざる者の相違は、日常生活にもざらに転がっている。
 そんな違いにいちいち驚いている時期は過ぎた。過ぎた、と思っていた。
 ──怖くないんですか。
 ジープの運転席で笑った八戒を思い出す。馬鹿らしい、昼間はそう切って捨てた問いだ。身体的にどれだけ違っていようが、それが原因で悟空が三蔵から離れていくのは考えられなかったし、例え三蔵から離れてみたところで、彼は絶対に一緒にいようとするだろう。
 だから馬鹿らしいと答えた。八戒もそれ以上訊いてはこなかった。そうして本当の答えは、ただ三蔵の中にだけ、苦い塊となって存在している。
「三蔵」
 ふと呼ばれてそちらを向くと、脱ぎ置いたばかりの法衣を悟空が抱え込んでいるのが見えた。
 三蔵自身はようやく軽装に着替え、風呂にでも向かおうかとしていたところだった。法衣は普段、椅子の背に掛けて置いておくことが多かったのだが、悟空の顔を見ると、どうやら片付ける目的で衣を手にしたわけではなさそうだ。
 言いたいことでもあるらしい。下から見上げる視線の角度が、三蔵を不機嫌にさせる頼みごとをする時のそれである。
 聞く前に部屋を出よう、考えたこちらを見透かすように、悟空は慌てて口を開いた。
「これ! この服あったかいのかっ?」
「?」
「だって冬場でもこれ着てるだけだろ? 三蔵がこれの上に何か着てるの、見たことねぇよ?」
「……まぁ寒くはねぇな」
「ふぅん。そーなんだ……」
 言葉を失ったように口篭もる。
 聞きたくなければ、そのまま無視して部屋から出てしまえば良かったのだろう。けれど、中途半端な会話を放置しておけるほど、三蔵は気が長くはなかったのだ。
「──何が言いたい?」
 気づけばつい問い返していた。こちらが会話に乗ったと見るや、悟空の表情がぱっと明るくなる。
「あのな、前からすっげー興味あったんだ!」
 法衣を嬉しそうに抱え込み、サルは瞳を輝かせてのたまった。
「これ着てみていー?」
 反応に困るとはこのことである。彼が何を思ってそう言いだしたのか簡単に想像がつくだけに、即座に嫌そうな顔を作れない問いだった。
 長年一緒にいたせいか、悟空にだけ甘くなる自分に諦めもついている。三蔵は殊更何でもないふうを装って、勝手にしろと言い捨てた。その言葉を聞くや否や、悟空はいそいそと衣を開き出す。
 ──怖くないんですか。
 八戒の問いが再び頭を掠めた。その問いの後には「あんなに真っ直ぐに思われて」と付属の言葉もついていた。
「僕だったら怖くてたまりません。どっかに閉じ込めて、誰にも見せないように囲っちゃいます」
 あながち冗談とも思えないような口調で付け足し、温和な顔で笑った。三蔵が口でどう話そうが、あの男がこちらの本音を見透かしているのは明らかだ。八戒が気づいているくらいなら、悟浄も知らないわけがない。
「こーで……こーで、こう?」
 衣の留め紐を不器用そうに結んでいく姿に、どうしようもなくほっとする。
「……良く覚えてんな」
「毎日見てるだろ、当然!」
 綺麗にはにかむ悟空。そんな顔は、多分三蔵にしか見せない。
「ふぅん……本当だ。あったかい……」
 幸せそうに彼が呟く。
 人と、そうではない生き物。一緒にいようと思うのなら、どちらかに負担がかかることは必然だった。最初の何年かはそんな無理など考えもしなかった。悟空も不満などを漏らすような性格ではなかったから、三蔵が気づいたのは、妖怪が凶暴化を始めて世間の目が人外の者に敏感になった、つい最近のことだ。
 多分無理に合わせているのだろうと思う。
 三蔵は自分から彼と共にいる努力をしたことがない。つまり、これだけ長く一緒にいるための苦労は、全て悟空が受けていたということだ。
「……汚す前に脱げよ」
「うん」
 わざわざ鏡の前まで行って己の姿を確かめる。幼さはちっとも変わっていない気がするのに、時々はっとするほど必死に三蔵を探すことがある。
「いーなぁ……。なぁ、いつかこれ古くなったらさぁ……」
 もしかしたら、こんな他愛もない会話にすら、切実な願いが隠れているのかもしれない。
「着れなくなってからでいいから、くれる?」
「着る機会ねぇだろ、坊主にでもなる気か」
「違うけど。いーじゃん、ほしい」
「……くだんね」
「あっ、ひでぇ!」
 どうせ三蔵の匂いがするとか馬鹿らしいことを考えているに違いない。そんな形見分けのようなことを、誰が了承してやるものかと思う。
 連れてってやるよ、仕方ねーから。
 最初にそう言って手を差し出したのは三蔵の方だった。あれからずいぶん時間は経って、悟空はこの世界での生活を覚え、習慣を覚え、個人的な知人も増えたようだった。おそらく、妖怪であるということを隠してしまうなら、街で一人暮らしをすることも可能だろう。外見が幼いせいで子供扱いを受けることも多いが、あれで案外しっかりしているのだ。人付き合いの点で言うなら、三蔵よりもよっぽど社交的でもあった。
 それでも悟空は寺院を出て行かない。妖怪であることも隠さない。三蔵に、一緒に寺院の外で暮らそうと話すこともなかった。
 本当につい最近まで気づかなかったのだ。
 彼のそういった言動や行動全てが、ただただ三蔵と一緒にいたいがためのことだったということに。
 いつの間にやら、三蔵がしなければならなかった努力すら、横から奪って無理を繰り返していた──




 * *


 いつの間にか全部。
 いない未来が思い描けない