はじまりと終わりのうた

 小石混じりでほとんど水分を含んでいない砂。
 見るからに植物を育てる養分など失っていそうなそれに、悟空が少ない種の中からいくつかを蒔いてみるのは、もう三度目のことだった。
 今回は砂にいくらか灰を混ぜてみた。湿った土ではなく、敢えて砂地に種を蒔くのには理由がある。
 水分を含んだ土は、変な臭いがしていて、調べてみると恐ろしく酸性が強かった。おかげで、せっかく太陽の下で身動きできるようになったにもかかわらず、わざわざ瓦礫で作った小屋の中に地下から浚ってきた砂を持ち込み、雨避けをした上で、畑とも呼べぬほど小さな盛り土を作ったのだ。
 悟空が過去の世界から帰ってきて、既に半年が過ぎようとしている。
 こちらの世界では、悟空は丸々二ヶ月も行方不明になっていた。その間、ナタクは何度も例の地下通路を探してくれたらしいが、そのために盗賊とトラブルを起こし、早々に住居の拠点を移して、今では以前と全く別の場所にいる。
 悟空が彼と再び合流できたのは、そこが偶然にも、過去の世界で、三蔵とタイムカプセルを埋めた場所の近くだったせいだ。
 突然帰ってきた悟空に、ナタクは本当に驚いていた。
 おまけにこちらは衣服も替わっていれば、陽の光の下だったというのに、何の装備もせずに普通に歩いていたのだ。
 大気について心配はいらないのだと、突然言った悟空に、彼はひどくいぶかしんだものだった。けれども、地中からタイムカプセルを取り出し、そこから二人があれほど手に入れたがった様々な備品を見せた時から、ナタクは悟空を疑うことをやめた。
「……いつか、理由は話してくれるんだな?」
「うん。話すよ、絶対。二ヶ月で俺が経験したいろんなこと……」
 三蔵を思い出すだけで泣きそうだったが、とりあえずナタクは今も悟空が話すことを待ってくれている。
 そうして悟空たちは、昼間に外を歩くことを始めた。
 少しずつ探検して、地図も作り始めている。まだ海にも川にも行き当たらなかったが、時々、瓦礫の中に使えそうな道具が埋まっているのを発見したりもした。
 半年はあっと言う間だった。
 地上に出て、物資を集めることを始めた途端、ナタクの率いる子供だけの集落は、ひどく活気付いた。
 相変わらず食物は不足しがちだし、綺麗な水もなかなか手には入らないが、悟空たちは植物の種を得たのだ。二ヶ月もかかって使えそうな砂を集め、ようやく自分たちの畑を手に入れた。
 まだ蒔いた種は一度も発芽していないが、今度こそ何とかなるのではないかと、悟空は思っている。
「……元気、かなぁ……?」
 話しかける。
 何とか、畑相手にでも彼の話をできるようになったのは、つい昨日のことだった。
 いつだったか、話しかけることで種が良く育つのだという記述を本で見た。実際、悟空が話しかけていたあのトマトの鉢植えは、驚くくらい早くに発芽した。
 結局、双葉になるまでしか見ることができなかったが、あのあと、三蔵はきちんと育ててくれただろうか。
 もう一方の、実がなりかかっていた鉢植えもどうなっただろう。今となっては確かめることなどできないけれど、変に真面目な彼のことだ、枯らしてしまうことはなかったに違いない。
「三蔵……」
 名前を呼ぶと、まだ震えるようなせつなさがあった。
 まだ――駄目かもしれない。
 きっとナタクにはまだ当分話せないと、彼の名を呼ぶたびに悟空は思う。秘密は、近頃、友人と己との距離を遠くした。それもわかっているのに、やっぱり駄目なのだ。
「……今、どこにいる?」
 彼を思う。毎日思う。心の中では四六時中名前を呼んでいる。たった一時だったはずの彼との時間は、悟空が生きて経験してきたどんな思い出よりも強く、この身に刻まれていた。
 もっと抱き合えば良かったと思う。
 自分からいっぱいキスもすれば良かった。
 三蔵が聞けば、きっと目を丸くするようなことを、今の悟空は考え、望んでいた。
「犬でも猫でも、女の子でもなかったけど……」
 ちゃんともらってくださいって言えば良かったな、俺。
 乾いた砂に、笑いながら話しかける。
 悟空は丁寧にその表面を撫で、早く芽を出してくれと、何度も切実な願いをかけた。
 と――
 不意に、手の下で、引っかかりを感じてはっとする。
 慌てて目を凝らした悟空は、見た。
 白く小さな、弱々しい角のようなものが、かすかに地面から顔を覗かせている。
「……っ……」
 最初は錯覚かと思った。芽が出ることを祈りながらも、自信など全くなかったのだ。
「うそっ……ほんとに?」
 ほんとに?
 四度も五度も確かめて、ようやくそれが現実だと認識できた悟空は、いても立ってもいられずに、雨除けをした瓦礫の中から飛び出した。
「ナタクっ! ナタクっ!」
 近くにいるはずの友人を呼ぶ。
 ところが、辺りから顔を覗かせるのは、何事が起こったのかと驚いた、瓦礫を探索中の子供たちばかりだ。
 悟空は彼らにナタクを知らないかと何度も訊かねばならなかった。
「も――こんな時に、どこ行ってんだよ、あいつ!」
 走っても走っても彼を見つけることができない。
 種が発芽したことを一番に教えるなら、彼にと決めていたのだ。しかし、このまま長く誰にも言えなければ、悟空は喜びで窒息してしまうと思った。
「ナタクっ!」
 大声で呼ぶ。
 また通りから出てきた子供のひとりが、ナタクなら向こうだと、ようやく有力情報をくれた。
「サンキュ!」
 子供には礼を言って、悟空は更に駆けた。
 ちょうどタイムカプセルを埋めた方向だった。
 そこは元々神社だった場所だ。以前は巨大な樫の木があったのだが、爆弾が落ちたあとでは、半分焼け焦げた根元しか残っていなかった。
 その根元の脇に、しゃがみこんでいる姿が見える。
 ナタクと――
 そして、もう一人。
 ――金髪の。
 まさかと思った。だってそんな一度に何もかも願いが叶うなんて思えないではないか。もしかして幻かとか、夢見てるんじゃないかとか、実はあれはそっくりさんで彼本人ではないとか――
 とにかく、その姿を見た時、一瞬でいろんなことを考えた。一番最悪なことを覚悟しておこうとも思った。万一彼だったとして、悟空のことなど覚えていないかもしれない――とか、思うだけで死にたくなるようなことまで、いろいろ覚悟した。
 けれど彼は。
 顔を上げて、こちらに気付いた彼は。
「……悟空」
 そんな、もうずっと聞いていなかった心を揺さぶる声で、宝石みたいに名前を呼んでくれるから。
 幻でも何でも良かった。
 悟空は駆け出し、彼の制止も聞かずに力いっぱい抱きついた。
 結果は、地球に重力がある以上明白だ。二人は、盛大に地面に倒れ込み、辺りに砂埃を撒き散らす。
 隣でナタクが呆気に取られているのもわかっていた。だが、悟空はもはや、彼の名前以外の言葉を失っていたのだ。
「……三蔵! 三蔵、三蔵、三蔵……三蔵っ」
 こんなに呼べるなんて嘘のようだった。
 続けざまに呼びながらぎゅうぎゅう額を押し付けるこちらの背を、倒れ込んだままの彼も撫でてくれる。それから一度だけつむじに唇を押し当てる、懐かしい感覚。
「……いてーんだよ、サル」
 最後に、ぺこ、と、全く力の入っていない手で、額をはたかれた。
「……なーなー、ナニやってるか聞いていーか?」
 そこへ軽い言葉が降ってくる。
「僕はちょっと大人としてはずかしいんですが」
 聞き覚えのある口調と声に、悟空は弾かれたように頭を上げた。
 倒れ込んだこちら二人の前に、懐かしい顔があった。
 悟浄と八戒だ。
 しかし見えた顔は、彼らのものだけではない。ナタクを始めとして、ここへ来るまで声をかけてきた多くの子供たちも、興味津々の様子でそこにいる。
「う……わああぁぁぁぁっ」
 慌てて飛びのいた。
 三蔵がやれやれと言わんばかりに溜め息をつく。
「感動の再会は、あとで二人っきりでやってくださいね」
 八戒が笑って言う。
 恐る恐るナタクを窺うと、こちらも困ったように笑っていた。
「……紹介。してくれるんだろ、その人たちのこと」
「うん……」
 まだ興奮で心臓をどきどきさせながら、何から話せばいいだろうと、悟空は考える。
 これまで言えなかった分もあり、話すべきことは山積みだった。だが、さし当たって、これだけは言わねばならないということがあった。
 悟空はナタクにだけ聞こえる声で、こそと耳打ちする。
「……俺が、世界で一番スキな人」
 瞬間、友人はえらく困惑げに三蔵を振り返った。再びこちらに返ってきた視線は、どうにも心配そうなもので、悟空は笑って付け足すのだ。
 
「今度こそ、俺のこともらってくださいって言うんだ」
 
 
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