眩いライトが一斉に降り注いだ。思わず片手で光を遮る。そうして不意に頭上に現れた、夜空を覆いつくす光景に、快斗は知らず微笑んでいた。
空一面の、黒塗りヘリの大軍勢。街を震わせる鈍いプロペラ音は、まるで獲物を追い詰めた猛獣の咆哮に似ている。網の目さながらに交差するサーチライトが、次から次に快斗を目指して跳ね回った。
今ではもう、快斗を隠すべきどの物陰も、昼間と同じくらいの光で溢れている。
半時前の暗闇が嘘のような明るさだった。ビルの向こうから唸りを上げて近づいてくるのは、都内中を駆け回ってようやくここに辿りついた、パトカーの一群だ。先頭の一台には、警視庁でも最も快斗に執着した人物、中森銀三警部が乗車しているはずである。
迫りくるサイレンを正面に、もう逃げることもなくただ佇んでいた。頭上では、一筋二筋と、快斗の姿を照らすライトがどんどん増えてきてもいた。
ヘリからの風圧に巻き上がるマント。純白のそれが激しく波打つ。快斗はそれをじっと見つめ、わずかに上がった呼吸を整える。
ビルの角から袋小路になったこの場所へ、パトカーの一群が猛スピードで突っ込む。地面を擦るブレーキ音。空ではバラバラと雷のように唸るプロペラ。警察は、文字通り総力をあげ、今夜の余興に付き合ってくれた。
快斗は今夜一晩中を、怪盗KIDの、この目立つ白い衣装をつけて逃げ回っていたのだ。都内の西から東へ、北から南へ。おそらく警察当局は、各地から寄せられるKID目撃報告に慌てふためいたことだろう。何を盗むわけでもなく、目的があるかもあやふやだった逃走劇は、すっかり人通りのなくなったオフィス街の一角で終局を迎えようとしている。
快斗は今夜が最後になることを覚悟していた。
怪盗KIDとして世間を騒がす――
パトカーの扉が、急停車するかしないかのうちにばたばた開く。多くの警官たちが降り立つ中、一番見知った顔を見つけ、快斗はゆっくり笑うのだ。
シルクハットを取って軽く一礼。
途端に色めき立つ軍勢の中でも、中森だけは微動だにせず、気丈に睨みをきかしている。
だから彼を選んだ。快斗は満足げに姿勢を正す。
「お騒がせして申し訳ありません、中森警部」
「……そう思うんなら、今夜こそ大人しく逮捕させてくれるんだろうな、怪盗KID」
「残念ながら、それはできないんです」
中森は話しながらも用心深く拳銃を構えた。
「ほぅ……だが、できなくともやってもらわないと、俺たちも困るんだがな」
「できません。第一、今夜私が走り回っていたのは、全く別の理由があるんです」
「……言ってみろ」
快斗が深く息を吸い込んだ。
「怪盗KIDは、今夜限り二度と姿を現さない」
何を聞いたのかわからない、一瞬、中森が呆気に取られた表情で、銃をかまえるのも忘れて棒立ちになる。
その隙を見逃すわけにはいかなかった。快斗は素早く煙弾を地に叩きつけると、いつもの要領で警官の変装をし、群衆に紛れ込むのだ。
KIDが忽然と消えた袋小路では、標的を失った警官たちが茫然とするばかり。今まで毅然とした態度を崩さなかった中森までが、脱力しきって銃を下げる。
「……KIDは、何て言った?」
彼が唸るように呟いた声を、快斗はすぐ近くで聞いていた。
「あいつは、何を言ったんだ……っ!」
中森のこの衝撃の受けようでは、今更「かもしれない」という言葉を語尾に付け足したとしても、大した効果はないに決まっている。第一、快斗自身が一番自信が持てないのだ。今後、この姿を取り戻すことができるのか。取り戻せたとして、以前と同じように、おもしろおかしく怪盗なんてものをやっていけるのか。
快斗は先日ある賭けをした。
負ければ、二度とKIDになることはできない、そういう内容の賭けだった。元々好き好んで泥棒業に就いたわけではなかったというのに、いざ切り取られようとすると、自分の核みたいに重要な気がする。でも、賭けに負けても構わないと思ってもいたのだ。泥棒は所詮犯罪だ、やめなければいつか自分が犯罪に食われる。
実際、良い機会だと感じたのも事実だった。それに、賭けを持ちかけた相手の話が全て真実だったとすれば、近い将来、快斗はKIDになる理由を失う。
パンドラが見つかるのだ。
そして快斗はそれを手にするだろう。父を殺したあの犯罪組織よりも早く。
だから賭けに乗った。賭けの結果こそ選ぶべき道だと決めた。中森に言った言葉も、自分の決心を確かめるためのものだった。KIDになることを望んではいない自分を、確かめるためにそうしたのだ。
快斗は右往左往する警官にまぎれながら、そうっと脇道へと逸れる。時折頭上を旋回するヘリのライトから身を隠しつつ、闇が落ちたビルの谷間を駆け出した。
プロペラの音がどんどん遠ざかる。走り去るパトカーのサイレンが、泣き声みたいに耳を打った。
賭けが始まった。
勝つために戦うのか、負けるために戦うのか、快斗の中では、未だそれすらはっきりしてはいなかった。ただそうしなければならないのだと信じきっていたのだ。
なぜなら、賭けの相手は、亡き父、盗一であったから。
盗一は言った。パンドラはお前の元に現れる、と。お前はKIDになる必要はなくなる、と。
そして。
「お前たちが出会ったのには理由があるんだ」
江戸川コナンを指して、盗一は確かに言ったのだった。
初めて会った時は、何だこんなガキって思ったんだ。
見たとこ十才あるかねーかだったし、多少頭が回ったって、九九覚えたばっかくらいの子供に、俺の手の内なんかが読めるわきゃねーだろって。探偵だかなんだか知らねーけど、俺はお前の倍近く年取ってて、そこらの大人よりずっと苦労しながら生きてんだぜって、すげぇ馬鹿にした。だって生意気じゃん。こぉんなでっかい目ぇで、真っ直ぐに俺んこと見んだよ。どっこも汚れてないような、悪いことなんか一回もやってませんって目ぇだよ? 馬鹿にするって、そりゃ。俺なんか息するように犯罪犯してんもん。馬鹿にして当然でしょ? 犯罪知らない奴が、俺に勝てるわけねーからさ。
でもちょっと戦ってみりゃ、いきなり予想外なわけよ。何で外見とアタマが釣り合ってないんだって、不思議で不思議でしょうがなかった。おまけに、ガキのくせに滅茶苦茶強気で、滅茶苦茶シビアだろ。俺の手口ほとんど見破って、勝った勝ったって喜びまくりゃまだカワイイのに、最後の最後まで油断しねーの。悔しくもなるじゃん。
だから調べたんだよ、そいつのこと。
調べてわかったんだ、工藤新一って探偵がいたこともな。 写真も見た。これが嘘みたいなことに、俺と似てんだ、工藤新一。兄弟って言ってもおかしくないくらい。
やんなったね、実際。何か俺とそいつで裏と表みたいなんだよ。もし俺が泥棒やってなかったら、こいつみたいになったのかと思った。
その時だな。自分がKIDになるの迷ってるって気付いたのは。 毎日毎日警察との鬼ごっこは楽しかったから、ずいぶん長い間忘れてたんだけどなぁ。
できるなら今はあんま戦いたくねーよ。だって今の俺だったら絶対そいつに勝てねーもん。そいつにとって何人もいる犯罪者の一人になんのだけはちょっと許せねーんだ。だってKIDだろ、んな一山いくらの犯罪者と一緒にされて黙ってられるかって。
それになんか、あんま敵対したくもない。もし機会があるんなら、ゆっくり話してみるのもおもしろいかなって、そんなふうに思うんだ。
多分、あいつ、俺と似てる気がする。