JOKER JAM close sesame

 怪盗KIDが、ある代議士の官邸で、大活劇を繰り広げたという報道が行われた数日後、同じく怪盗KIDの名前で、代議士が中心となって組織していた闇機関の、盗品売買、臓器密輸、麻薬密売など、多くの犯罪を証拠付ける資料及び写真が警察に送りつけられた。
 それまでKIDを蔑んでいた全ての人間が、代議士の策謀が明るみに出た途端、こぞってKIDを弁護する側に立ったのは言うまでもない。お堅いニュース番組も、代議士のスキャンダルを連日トップニュースに組み、政界の腐敗とKIDの正義を説いた。警察も、今回ばかりは泥棒の暴挙を歓迎していたようだ。件の代議士は、かねてから黒い噂のあった人物で、いくらかの警察官が血眼になってその物的証拠を探していたらしい。
 今やKIDは英雄扱いだ。しかし、当の本人はと言えば、あっさり元の泥棒業を再開し、担当刑事を引っ掻き回しているとか。
 一度は廃業宣言まで飛び出したくらいなのに、その宣言までもを代議士を欺くためのペテンだったと言い張っている。図太いと言うか、逞しいと言うか……とりあえず、元の鞘に返ったと考えるべきなのだろう。
 そして、コナンの通う帝丹小学校では――
 約一ヶ月の教育実習期間を終え、九路場が最後の授業の教壇に立っていた。
 九路場はやっぱり他とは一風違った教育実習生だった。最後の授業の時、彼は生徒の前で大泣きしていたのだ。コナンはそれを見て、やっぱりこの男は苦手だと確信し、溜め息をついたものだ。何と言うか、こう、どこからどこまでも善人くさい。多少欠点が目立つ人間の方が安心する。これも職業病なのかもしれないが。
 その九路場が、終礼後、コナンを廊下に呼び出した。
「結局あまり仲良くなれなかったけど、何でか江戸川くんのことが一番印象深いんだ。それでね、ひとつ確かめておきたいことがあってね」
「……何ですか?」
「ほら、最初に、僕の名前は本名かって質問したでしょう?」
 何だか嫌な方向に話が向かっている気がするのは気のせいだろうか。コナンは一応うなずいたが、あまり話の続きを聞きたくはなかった。
 しかしこちらの心の内など知らない九路場は、悪気のない調子で続ける。
「あれって、どうしてだったんだろう。もしかして、僕と同じ名前の知り合いでもいたんじゃないかって考え出したら、もう絶対そういう気がしてきてね。―― それで、その人は、僕とは全然違う性格をしていて、君がもしその人のことをとても好きだったりしたら、僕がいろんな失敗をしてぺこぺこ頭を下げたりする姿が、君の知ってる人を……侮辱って言うのかな、とにかく君の持ってたイメージを壊してしまうことになって、もの凄く腹が立ったりするんじゃないかって ――」
 待ってください、コナンは真っ赤になって遮った。
「先生、どこからそんな話を……」
「え、ということは、やっぱり当たってた?」
 答えられない。コナンが口元を覆うと、九路場はにこにこと笑って言った。
「別に誰に聞いたわけでもないんだ。ただ、いつだったか、君が高校生くらいの男の子と町を歩いているのを見かけてね。寿司だカニだって、学校では見ないくらい楽しそうだったから、もしかしてと思って」
 それは――あの時だ。自分は九路場の前で快斗の名を呼んでしまったのかもしれない。コナンはますます赤面する。最後の最後になって、何と言う落とし穴だろう。
「あの時はちょっと羨ましかったな、君の知り合いが。でも次に会う時は、僕ももう少し堂々とできると思うから、今度こそ仲良くなろうね」
 もう素直にはいと言うしかない。おかげで九路場は気持ち良く去っていったけれど、あとに残ったコナンは羞恥の極みである。とにかく頬を擦って顔が元に戻るよう努力したのだが、途中で、またもや困った相手に捕まってしまうのだ。
「……何やってるの?」
 哀だ。
 すっかり帰り支度を整え、あとは元太たちを待つのみとなっていた彼女は、てっきり赤い顔について突っ込まれると構えたコナンに向かって、こっそり手招きをする。
「今のうちに先に帰った方がいいわよ」
「え?」
「そこから、正門のところ見てみて」
 何が何やらわからぬまま、コナンは彼女の言った通り、ドアに隠れ校庭側の窓を振り返る。
 グラウンドは早くも下校する子供たちで一杯だ。しかし、哀の言う正門のところに一人だけ、明らかに子供でも教師でもない人物が立っているのだ。
 カッターシャツに制服らしい黒のズボン――高校生みたいだが――まさか。
 気付いた途端、コナンは沈没した。額を押さえて哀に向き直る。
「お前までどうして知ってんだよ、あいつを」
 切実に尋ねたのに、当の哀はとぼけたものだ。
「一緒にいるのを見かけたことがあるだけ。それよりも、いいの? 小嶋くんたちに気付かれたら、あの人とはゆっくり話せないわよ?」
 それは困る。彼と会うのは、球場で別れた以来のことなのだから。
「わかった、先に帰る……サンキュな」

 こちらが正面に立つまでもなく、快斗は遠くからコナンの姿を見つけていたようだ。本当はこんな目立つところで待ち伏せするなと怒ってやっても良かったのだが、何だかすぐには声が出ない。一番にどの話をすればいいのだろう、そんなことを考えながら、結局、彼を目の前にしても口にできる言葉はなかった。
 快斗は相変わらずだ。悔しいが、どこにいてもどんな服装でも人の目を惹く男前である。
「……よぉ、久しぶり」
 目の前に立ってよぉも何もないものだが、今だ一言もしゃべれない自分よりはましだろう。快斗はコナンを視線で促し、ゆっくりと歩き始めた。
 沈黙が痛い。しかし声も出せそうにない。どうしてだか動悸も激しい。きっと帰りがけに立て続けに予想外の台詞を聞いたせいに違いない。コナンは今更緊張しているのだ。快斗とは、もうずいぶん長く一緒にいた気がするのに。
 どうしよう、何を話そう、それだけで頭がぐるぐる回る。表面が普通でも、内は完璧にパニックになっていたコナンに、彼は極自然に話し出した。
「とりあえず全部が元通りになったんだ。見ての通り、俺は学校もちゃんと行ってるし、家にも帰ってる。お袋とも和解したよ。ジイちゃんは……あれからすげぇ俺に遠慮してるけど、そのうち何とかなんだろ。あの時、お前にもいろいろ迷惑かけたよな。でも結果には全部満足してる。ありがとな。それが言いたくって寄ったんだ」
 何だか改まって言われると困るではないか。それによそよそしい感じがして嫌だ。快斗は、まるでもう二度とあんなふうに過ごすこともないような言い方をする。思わず不機嫌になってそちらを向いたコナンに、彼は、やっぱり真剣な顔のまま言った。
「俺もKIDに戻っちまったし……やっぱ俺たちもう会わない方がいいのかなぁ?」
 それは冗談にならない。今本気で傷ついてしまった。コナンは一気に頭に血を昇らせる。快斗の足を派手に踏みつけた。
「――お前なぁっ」
 コナンが怒鳴ったが早いか、快斗は盛大に吹き出した。踏みつけられた足を抱えながらも、そんなことなど全く気にしていない様子で大笑いする。
「お前が緊張すんのが悪ぃんだよ、そんなだったら、俺も緊張すんじゃん」
 つまり今の言葉はフェイクだったわけだ。わざとコナンを怒らせるような言い方をしたわけだ。コナンの怒りは再燃した。一体何度、快斗はこうやって人をからかうのか。全部に律儀に引っかかってしまう自分も自分だが、やはり一方的に快斗が悪い。
 しかし彼は悪びれもせずに笑う。
「大体、俺がそんなこと言い出すわけねーって。今日来たのは、遊びの誘いで来たの。チケット手に入ったんだよ、サッカーの」
 それは凄い。コナンの機嫌は急上昇した。
「どことどこの?」
「日本とドイツの代表試合。好みっしょ?」
「好み好み。これから?」
「ん? 三ヵ月後」
「へ? 三ヵ月後の話を、今日しにきたのか?」
「口実だろ。早くお前に会いたかったんだもん」
 絶句。
 快斗はさっぱりと笑った。
「いーだろ? 危険な恋愛しようぜ、名探偵くん」
 冗談に聞こえないのが怖い。それでも笑って、笑いながら一緒に歩ける自分たちがいる。
 多分日常はそんなに穏やかなものじゃない。今回の騒動みたいに、傷ついてボロボロになることもあるのだろう。でも今は信じている。これから歩む波乱万丈の人生は、一番幸福な未来につながっているのだ。
 人任せでも、神頼みでもなく。
 自分の力で自分を守れ。