Knight

close sesame
  
 その日コナンは町に出た。
 特に何らかの目的があったわけじゃない。人ごみだって、普段ならあまり好きではなかったのだけれど、今日だけは何となくそんな気分で、外へ出ずにはいられなかった。
 スクランブル交差点の前。ガードレールに腰掛けて、足をぶらぶらさせていた。子供一人がそうしていても、誰も声を掛ける者などいない。コナン自身にも心当たりの物好きは、たった一人だけだ。その人物さえ、今日ここに現れるとは限らないので、もしかしたらこのまま何もなく家に帰ることになるのかもしれない。
 しかし、見知らぬ顔ばかりの人波である。見ているだけで目が疲れてきて、コナンは早々にうつむいてしまった。
 ずっと記憶の混乱があった。
 それはやはり、黒ずくめの男たちに薬を飲まされてからのことで、阿笠や灰原には薬の副作用だと教えられた。でもそんな理由じゃとても納得できなかった。あやふやなコナンの記憶の中には、ある人物が確かに存在していたからだ。
 彼は、コナンにとてもやさしかった。時々びっくりするような我がままもあったが、いつも明るくて、少しだけ大人で、かけ引きの得意な男だった。マジックの腕はプロ級で、アイスクリームが好物。
 言葉の表現としてはちぐはぐなのだが、彼という個人に当てはめてみると、何もかもが綺麗に噛み合って、強烈なプラスの存在へと変身する。
 記憶の中の彼があまりにも無邪気だから、少しくらいは美化されてしまっているのだと思う。顔も。何だか良くは思い出せないのだけれど、男前の顔をしていた気だけはするのだ、怪しい話である。
 それでも、コナンが今ここにいる理由は、どこをどうひねくり回しても彼なのだ。
 約束を、した。
 あの日、あの場所で。
 その約束は、どれだけ忘れようと思っても忘れることができなかった。
 本当は、もうわかりかけている。彼はコナンの味方ではない。多分、敵、だ。最初っから。最初から敵で、でも一番味方に近いかもしれない人物。
 彼は、正真正銘の神出鬼没だった。例えば、今、コナンの背後にいつの間にか立っているように。
「……よぉ、ぼうず」
 懐かしい声と言ってしまっていいものだろうか。コナンは彼の声を、一週間ほど前の、ある山荘で聞いた覚えがあった。
 お互いに背中合わせのまま。本当を言うと、振り返るのは少しだけ怖い。
「……どうやって戻って来た?」
 コナンは小さく尋ねた。記憶の中で、彼は決してどうやって元の世界に帰るのか教えてはくれなかった。しかし、実際に今こうしてここにいるのは、やっぱりあの日出会った彼なのだ。そうでなければ、約束など覚えているはずがない。
 彼はそっと笑ったようだった。その顔が見たいと、コナンは思う。
「教えない。ただ、やっぱりあれは俺にとって幻覚だったって話だな。もしあそこで怪我しても、実際には怪我なんかしなかったんだろ」
「へぇ。俺には現実だったけど」
「うん。それはお前がここにいるから、俺にもわかってる。けど他はわかんねー。他に訊いてくれ」
「他って?」
「神様とか」
 バカ、つい笑ってしまった。相変わらずの陽気さに、何だか涙が出そうになる。それを隠して、コナンは空を仰ぐ。
「ところで、話し掛けないんじゃなかったっけ?」
「そのつもりだったんだけど、ちょっと言いたいことができてさ」
「へーえ、お聞きしましょ」
 ふざけていないと泣きそうだ。人ごみがみるみるうちにぼやけてきて、自分で自分が情けなくなった。
 快斗は言う。
「もしもお前がつらい時、どうしてもたえられなくなったら呼べばいい。何があっても、どこにいても、絶対傍にいく。絶対助けてやる。世界中の人間がお前の敵になっても、俺は味方。お前が俺の敵になろうとしても、やっぱり味方」
 
「永遠に、お前の味方」
 
 たえきれずに振り返る。
 もう負けてもかまわなかった。コナンはそこに彼の姿を探す。けれども見知った顔は見えないのだ。バカヤローと文句を言いたくても、相手はいない。
 でもまだどこかで聞いているかもしれない。聞いていてほしい。少しの確率に、今度は自分が賭ける。
 今度はコナンが約束する。
「俺はお前の名前を知ってる。絶対見つける。全国の高校の名簿揃えてでも見つけるから、待ってろ。絶対見つけて、謝らせてやる」
 こんなにつらいのも苦しいのも、きっと快斗のせいに決まっている。
 見つけるのだ、絶対。
 一方的な約束なんか、させてやるものか。
 心に誓う、ひとつの思い。
 好きという感情は、勇気に似ている。