スラッシャー9

01 大土井 忠達 (おおどい ちゅうたつ)

 昼休み、校庭での出来事である。
「── そろそろ覚悟もできただろ?」
 声は背後から聞こえた。
 たった今まで馬鹿話に笑い転げていた幼馴染が、ひくと頬を引きつらせる。もちろん万丈だって固まった。一瞬にして手足の爪先まで緊張が及び、頭からさぁっと血の気が引く音を聞いた。
「一ヶ月、だ。俺にしては良く待ってやったと思うんだが、お前らはどう思う?」
 憤っているのか笑っているのかわからない、男は極々低い声で告げるのだ。
 びびりまくりつつ振り返る。
 華道部部長、三年、大土井忠達がそこにいた。
 忠達はごついしでかい。
 身長は189センチ、体重は100kg近くあるらしい。万丈と鉄巳は身を屈めて座り込んでいたから、背後に立つ彼を煽り角度で見上げると、まるでモアイ像でもそびえているように見える。
「えーっと……ぶ、部長。チワっす」
 モアイに迫られれば誰だって怖い。
 不気味に口角を上げる男に、万丈は後ずさる。が、一歩も退かぬうちに隣にいたはずの鉄巳に阻まれた。
 ヤツはいつの間にか万丈を盾にしていた。万丈は下がりたいのに逆に背を押され、モアイの足に突っ込みそうになった。
 ── お前だって俺と一緒に一ヶ月サボったくせに!
 今こそ鉄巳のインテリ眼鏡を毟り取って罵りたいが、モアイが更に顔を寄せてきてそれどころではなくなる。
「一年、北川万丈」
「は、はいぃ……」
 表情としては笑っていても、忠達の目は好戦的に底光りしている。
「所属の部と、そこにおけるお前の役割を言え」
「う……っ」
「言え」
 もう泣きたい。しかし泣いたところで忠達が怒りをおさめてくれるとも思えない。
「きたがわばんじょう……華道部……お楽しみ係っス……」
「ふむ。覚えていたか。鳥頭ではなかったようだな」
 男の目は継いで万丈の背後に向く。
「同じく一年、門倉鉄巳。確かお前も我が部のお楽しみ係だと思ったが、俺の記憶違いだったか?」
 鉄巳の声はない。ヤツだって絶対に忠達の目にびびっている、いい気味である。
 それでも、正直なところ、一人でなかったことは救いだった。個別に攻められていたら、辛抱のきかない万丈は逃げていた。しかも逃走の上に捕獲されたりなんかして、今以上に情けない状況だったに違いない。
 部会の無断欠席、一ヶ月。本来の忠達の熱血ぶりなら、問答無用で拳が飛んできてもおかしくはない。
 忠達はこちらの降伏ぶりに鼻白んだらしく、重く長い溜め息をつく。
「全く、お前らは揃いも揃って ── ハナブサが泣いてるぞ」
 彼に会えば指摘されるのは予想がついていたのに、その名を聞くや否や万丈の何もかもがぎこちなくなった。
顔を上げていられない。
 忠達が沈黙する。鉄巳も黙ったままだった。
 ハナブサ、というのは、同じく華道部に所属していた女である。
 万丈と鉄巳は幼馴染だが、ハナブサは二人の腐れ縁だった。小学校から高校まで、三人が三人とも完全に同じクラスに振り分けられた。
 そもそも華道部もハナブサの誘いで入部した二人である。男が花なんてちょっと聞いたらアホみたいだが、実際のところ「仲良くお茶でも飲みましょう部」だし、部長も男だから平気だと押し切られたのだ。
 しかし、そのハナブサは夏休みの間にいなくなった。
 万丈は良く知らない ── いや、彼女の事情は極力耳に入れないようにしていた、というのが正しい言い方か。
 それはハナブサとの約束である。
 彼女は調べるなと万丈に頼んだ。誰がどんな噂をしようと信じるな、とも。
 だから万丈は、彼女が一体どんなふうに最期を迎えたのか知らない。……彼女の葬式に参列して一ヶ月経った今ですら。
「北川万丈、門倉鉄巳」
 忠達が厳かに口を開く。
 うつむきたがる頭を上げれば、目の前にプリント用紙を突きつけられていた。そのままでは近すぎて文字が読めず、万丈は忠達の顔色を窺いつつ自分の手で用紙を持ってみる。
 赤、ピンク、黄色、緑、青、白、黒、銀、金。九つの色と、その横にタイピングされた華道部全員の名。
 顧問とハナブサまで含め総勢九名。
 見覚えのある記述だった。万丈は、これがハナブサが手がけた計画書であることを承知していた。
「我が部のお楽しみ係二名に指令だ。一ヵ月後の文化祭、お前らが中心になって展示物を企画しろ」
「部長……」
「いいな。無事成功させたら無断欠席は不問にしてやる」
 忠達は言うが、今まで咎めずにいてくれたのだ、多分理由など尋ねずとも見当がついていただろう。
「……まぁ、お前らに限らずこの一ヶ月は部にならなかったんだがな」
 部長としての心痛が滲む口調に、今度こそ万丈の頭も素直に下がった。
「とりあえず計画を全員に伝えることから始めろ。男はお前らを除けば俺とチカで楽勝だろうが、女連中は一筋縄ではいかんかもしれん」
「皆さん怒ってますか……」
 万丈が肩を落とすと、忠達も気まずげに頬を掻く。
「まぁ……志摩子がなぁ」
 志摩子か。
 外見だけは清純な美少女が頭に浮かんだ。
 志摩子は自称「ハナブサの彼女」である。
「……どーするよ、相棒」
 降って沸いた試練に、だんまりを通す鉄巳を振り返ったなら、ヤツは気障ったらしく指で眼鏡を押し上げ、
「任せた」
 全く友達甲斐のないことを堂々と言った。
 もちろん殴ってやったとも。