君追夜間飛行

「十一日? 十一日にこちらへ着くのか?」
「うん。多分夕方になるから、司令部には次の日に顔を出すよ」
 受話器の向こうで不意の沈黙が落ちた。不思議に思ったエドはすかさず言葉を付け足す。
「大佐? なんだよ、まさかその日のうちに来いとか言うんじゃないだろうな?」
「いや、そうじゃない。その日は私も非番でね、君に指令部に来てもらったところで会えはしないんだ」
「なんだ、ちょうどいいんじゃないか」
 そして二度目の沈黙。
 しかし今度のそれは、エドが口を開く前にロイの方から打ち破られる。
「確かにちょうどいいかもしれない。どうだい、鋼の。たまには出迎えが欲しくはないか?」
「はぁ?」
 何を言い出したのかと呆れるエドにかまわず、男は一人楽しげに提案した。
「駅で待ち合わせをしよう」
 物好きな。聞いたエドの正直な感想がそれだった。一昔前に比べれば蒸気機関車の性能も安定し、少なくとも出発時刻だけは遅れることがなくなった。だが厳守されているのは出発時刻だけである。人力で火力を調節している都合上、到着時刻にはどうしてもばらつきが出る。
 にもかかわらず、待ち合わせをしようとロイは言う。彼だって忙しい身の上だろうに。
「……たまの休日くらいゆっくりしてりゃいいんじゃねぇの? 俺、到着予定より絶対遅れる自信があるんだけど」
「君はつれないなぁ。私だって馬鹿正直に到着時刻に待ち合わせをしようとは言っていないよ、出迎えをすると言っただけで」
 あくまで「出迎え」と主張するのであれば、エドよりも早く駅に着いて待っていることが必須条件になるはずだ。
 ロイは快活に続けた。
「誤差は十五分ほどだろう、私は到着時刻より十五分遅れて駅へ行く。三十分以上遅れた場合は、晩餐は君のおごりだ」
「勝手に決めんな! 大体もとから十五分遅れて来るんなら全然待ってねぇだろ。もし俺が先に着いたらどうしてくれるんだ」
「滞在中は全面的に面倒を見よう、無理難題のひとつやふたつも歓迎するよ。どうせ私から引き出したい情報があったから、前もって予定を尋ねる電話を寄越したんだろう?」
 そればかりではなかったが、確かにそれも目的のひとつではあった。
「……ほんっと、こういう遊びが好きだよな?」
 足元を見られた気分で皮肉を言ったエドとは反対に、受話器から聞こえてきたのは屈託のない笑い声だった。
「会えるのなら一日でも早く会いたいだけさ、愛人としての基本だと思うが?」
「なにが愛人だよ、ただ俺で遊んでるだけじゃねぇの……」
「聞き捨てならないな――ああ、そうだ。もし一時間以上待つことがあれば、サービスのひとつくらいは請求するつもりだから心してくれ」
「だから勝手に決めんな! ていうか、一時間も待つな!」
「待つよ、君はなかなか信じてくれないからな」
 ふと黙ったこちらに、彼はゆっくりと「本当に会いたいんだよ」と念を押した。
 
 そういった電話でのやりとりがあったのは、一週間も前のことだ。
 約束の十一日、エドはアルフォンスと共に、予定の急行列車に乗ることができた。
 天候は快晴、機関車の調子も上々らしい。
「……今日は勝てそうな気がする」
 イーストシティまであと駅が五つ。懐中時計で時刻を確めてみたら、待ち合わせの時間には充分に間に合いそうである。常日頃からロイ相手の賭け事で負けの混んでいるエドは、相席にいる弟へと気分良く話しかけた。
「もし大佐より俺たちが早く駅に着けば、多少の無理難題も引き受けるってさ――何にするかな、 確か大総統府保管の資料で閲覧禁止の書類があったよな……それとも、軍の研究施設を自由に動き回らせろってのがいいかな?」
「どっちも本当に無理難題じゃないか。そんな頼み叶えてたら、大佐こそ軍規違反で処分受けちゃうよ」
「どうせ上手くやるって。そういうとこだけは要領いいんだ。それに無理難題言えって言ったのは大佐だぞ? 本当に言って何が悪い」
 アルフォンスが苦笑する。
「全く。仲良いんだか悪いんだか……兄さんと大佐の関係って、僕には今いちわからないよ」
 弟は、目の前の兄がその佐官と愛人関係にあることを知らない。エドは多少気まずい思いで窓の向こうへと視線を泳がせた。
 そんな時だった。
 軽快に疾走していた列車が、唐突に急ブレーキをかけたのだ。激しく車両が揺れ、鉄の車輪が火花を放ち削れる音が響き渡った。
 三等車両には通路と座席の間に敷居がない。当然エドは通路へと転がり落ちる。アルフォンスも膝をついていたし、他の乗客もなぎ倒された者がほとんどである。
 列車は間もなく止まったものの、車内は、良く線路から脱線しなかったと思うようなありさまだ。
「い、てて……っ」
 打った額を押さえながら身を起こす。
 どこの座席にも突然の事態に不安そうな顔が覗いている。しばらく待っても事情を説明する乗務員は現れず、窓から外を窺ったところで、見えるのは同じように身を乗り出して外を眺める乗客の背ばかり。
「……どうなってんだぁ?」
 せっかく順調だったのにと剣呑になったエドに、アルフォンスがのんびり答える。
「事故でもあったのかな。まさかテロリストとか」
「また? 冗談じゃねぇ、何度もそんなとこに出くわしてたまるか。――ここにいてもわからないな、ちょっと見てくる」
「僕も行こうか?」
「いいよ。もし変なやつに会ったら、互いに行動開始ってことで」
「OK」
 アルフォンスとは軽く拳を突き合せて別れた。
 目指すは機関室。
 三等車両は列車の後尾にあたり、先頭の機関室へ行こうとするなら、必然的に全ての車両を通り抜けなければならなくなる。エドが覗いてみたところ、どの車両も、わけもわからず右往左往する乗客ばかりで不審人物は見当たらない。なぜだか車掌も姿を消している。
 急停車の事情が耳に入ってきたのは、一等車両に入ってからのことだった。通路を真っ直ぐに走りぬけようとしたエドの腕を、すれ違いざま咄嗟に引っ張る者がいたのだ。
 振り返れば意外な顔と会った。
「リズマン!」
「やぁ、鋼の錬金術師どの」
 相変らず、どこか意地悪そうな口調をしている。カイ・リズマンは、金髪に褐色の肌色、痩身で容姿端麗、見かけは全く美少年と言っても差し障りない相手であったが、いかんせん言動や素行に曲がった部分の多い人物だった。
 黄金の林檎事件が解決して以来、エドへの当たりは和らいだようだが、ロイとの確執はこじれる一方らしい。
 とは言え、口でどう言おうとリズマンがロイを憎からず思っていることを、エドは既に知っている。エドにわかるくらいのことであるから、元上官・元部下の関係にあるロイも知ってはいるのだろう。
 エドとリズマンの間にも、騙されたりやり返したりの摩擦はあったものの、今では、話題がロイの悪口限定の茶飲み友達で定着している。
「どうせ事情を聞きに行くつもりだろ? キミが行っても邪魔者扱いされるだけだよ、鎧の弟くんの方なら歓迎されたかもしれないけどさ」
 リズマンはかったるそうに説明した。
「何でも、線路の上に大型の荷馬車が立ち往生してるんだって。乗務員は全員、その荷馬車を押してるよ」
「ええーっ、そんなので止まってんのかよ」
「らしいよ? でも、ま、荷馬車が動き次第どうにかなるんじゃないの。大人しく席に戻ったら?」
「ええーっ……」
 エドの盛大な落胆ぶりに何かを感じたのか、彼は軽く「約束でもあったの?」と尋ねてきた。
「まぁ……約束っていうか賭けだったんだよな。クソ、極秘資料せびり損ねた」
「極秘資料? 軍部の?」
「そんなもん」
「なんだ、相手はマスタング大佐か」
「まぁな」
「相変らず仲良いね、あの人と」
 エドはコメントせずに流した。
 リズマンと立ち話をしている間に、断続的な汽笛の合図が聞こえてくる。
「――お。けっこう早かったな」
 出発間近の告知である。
 時刻を確めてみれば、およそ二十分程度の停車だった。実際に列車が走り始めるまでにはもう少しかかるのだろうが、悪くもない頃合だ。
 そろそろアルフォンスの元へと帰ろうとしたこちらを、しかしリズマンが呼び止める。
「そう言えば――これ、マスタング大佐に売りつけようと思ったんだけど、キミでもいいな」
 彼の指がつまんでいるのは一枚の写真である。
 目前でひらひらと揺らされるそれに焦点を合わせた途端、エドは身体中の血が顔に集まるのを感じた。次いでさーっと蒼白になる。
「お――おい! こんなのいつ……っ!」
 焦って奪おうとしたが、リズマンが避ける方が早かった。彼はにやにやと笑いながら言ったものだ。
「さぁね。最近だった気がするなぁ?」
 おそらく一ヶ月前に東部へ立ち寄った時の写真だった。軍部内の食堂でロイと会ったのだ。エドの中では取り立てて覚えるほどでもない事柄だったのだが、リズマンの写真を見て思い出した。ロイが冗談混じりにエドの手にキスをしたのだ。
 写真は、その決定的瞬間を捉えていた。
「まぁこれは序の口。他にも、こんなのがあるんだけどさぁ」
 リズマンはさも楽しげに胸ポケットから数枚の写真を取り出し、トランプのように扇形に広げて見せた。
 そこに映っているのは当たり前にロイとエドばかりだ。一番際どかったのは、ロイがエドを抱き上げ、エドがロイの首に腕を回しているものである。エドの顔が写っていないせいで、ロイが幸せそうにしている様子ばかりが目につく。実際のところ、この時のエドは悪口雑言を尽くしてロイを貶しまくっていたのだが、残念なことに声は写真には写らない。
「良い腕だろ? まぁゴシップネタになるくらいでキミとあの人の評判には影響ないだろうけど、直接の精神攻撃にはいいかと思って」
 確かに大打撃だ。エドは居たたまれぬ思いで微妙に届かない位置にある写真を睨む。
「……何が目的だよ」
 負けたようで絶対尋ねたくはなかったが、言わないことには始まらない。リズマンが気持ち良く笑った。
「フィルム付きで買わない? 安くしとくよ」
「お前なぁ……」
「無断でばらまかなっただけマシだと思いなよ。全部で三万センズ。どう?」
「三万! 高いぞ!」
「そうかな。マスタング大佐には十万センズでふっかけようと思ってたんだけど」
「大佐がそんなくだんねぇことに金使うか」
「使うと思うよ? あの人自身はこんな写真、屁でもないだろうけど、キミの名前出したら無視するわけにもいかないだろ?」
「お前、根性腐ってる……」
「褒め言葉をどーも」
 リズマンは全く悪びれずに言う。
「ま、気にしないでよ、三万センズくらい。国家錬金術師にとっちゃ、はした金だろ。こっちは生活かかってんだ、たまに協力したら?」
 全くもって納得がいかない。金銭自体にこだわりはないが、リズマンに乗せられるのが嫌なのだ。
 エドが唸っている間に、列車は出発の汽笛を上げ、のろのろと前進し始めている。
「別に……キミがいらないんなら大佐に売りつけるし。ムリしなくてもいいよ?」
 結局はそれが止めだった。もしかしたら、ロイはリズマンの写真など放っておくかもしれないが、購入してしまう可能性もある。しかも理由がエドになるならば、後々この写真を握りつぶしてしまわなかったことを後悔するに違いない。
「クソっ! 覚えてろよ、ほんとに」
 請求枚数通りの紙幣を受け取り、リズマンは満足げにうなずいた。
「ありがと。今度お茶でもおごるよ」
「ノーサンキュー! また睡眠薬入りのもん飲まされちゃ堪んねぇからな!」
 エドが写真をポケットにねじ込み、肩を怒らせて彼に背を向けた瞬間のことである。
 キィィィ――
 ほとんどスピードの出ていなかった汽車が、再び車輪を軋ませ停車する。
 どうしようもなくて宙を仰いだ。もはや踏んだり蹴ったりな気分だった。
「ああ、もう! 今度は何だ!」
 リズマンが近くの窓から外を窺う。
「……あーあー。キミ、今日厄日じゃないの?」
 彼の笑い声に不吉なものを感じ、エドも窓の向こうを眺めてみた。
 列車はちょうどカーブを曲がる手前で止まっている。窓は、延々と続く線路が見渡せる位置である。
 そして、問題はその線路の上にあった。
 本来なら平坦な場所に、大きな岩のようなものがいくつも見えるのだ。だが、ただの岩なら動いて集まりはしない。
「そう言えば、荷馬車が運んでたのは家畜の餌だって言ってたっけ」
 リズマンの補足説明は的確だった。
 エドは一瞬にして事態を悟った。
 つまりは、先ほどまで線路を塞いでいた荷馬車は、最初道なりに進んでいたのだろう。ところが何かの要因で馬が暴走して、線路に乗り上げた上に、荷台に積んでいたものを撒き散らしたのかもしれない。
 たとえば、たまたま近くに放牧している農場があって、たまたま牛や山羊や羊や馬がいたとして、たまたま香りの良い餌の存在に彼らの鼻が気付いたとしたら――
「…………」
 エドには声もなかった。
 果たしてイーストシティへの到着はいつになるのか。
 広大な大地を横断する鉄の道は、この先数十メートルに渡って、続々と集まる家畜たちに占領されつつあった。


 結局、予期しないアクシデントに見舞われた急行列車が、イーストシティに到着したのは、予定時刻より二時間も遅れてからのことだった。
 二時間である。
 遅刻は予め宣言していたものの、さすがに遅れすぎたのではないかとエドも思った。
 下車するや否や荷物をアルフォンスに預け、駅構内にいるかもしれないロイ探す。むしろ諦めて帰っていたらいいと祈っていたのだけれども、彼の姿は呆気なく発見できてしまった。
 待合室のベンチ。本を片手に、到着した列車を眺めていたらしい男の姿。
 息を切らして傍へとやって来たエドに、彼は座ったまま苦笑う。
「……まさか読破できるとは思わなかったよ」
 ロイの手にある本は、小さいながらも頁数が三百はありそうな専門書だ。
「帰ってても怒んなかったのに……」
 どう反応して良いのかわからず、そんな言い方しかできなかった。ただしすぐに自己嫌悪にも陥る。ロイは何でもない顔をしていたが、少なくともエドが彼の立場であったら、二時間待った上でこんな言葉を聞きたくはない。
 エドは改めて口を開いた。
「……ええと。その……待たせてごめん」
「いいや。無理に会いたがったのは私の方だ、気にすることはない」
「でも……」
 次の言葉を探していると、ふと手を引かれる。ロイは淡く笑うだけだ。まるで謝罪はいらないと言っているようだった。都合の良い解釈だったかもしれない。しかしエドは迷った末に「晩飯おごる」とだけ付け足して、彼の指に自分の指を絡めるに留めた。
 と、その時だ。
 背後からのフラッシュ。シャッターを切る音。
 エドは俄然殺気立つ。こんなことをする心当たりは一人しかいない。
 案の定、近くにリズマンを発見した。奴は既に隠れてもいなかった。
「お前――また!」
「怒るなよ。ただの嫌がらせだろ?」
 普通は嫌がらせには腹を立てるものである。
 だがリズマンはこちらの文句は一切聞かず、
「とりあえず弟くんは僕が連れてくから。二人でゆっくりしてきたら?」
 言いたいことだけを言って背を向ける。
 怒れば良いのか有難がれば良いのか。リズマンが見えなくなっても中途半端な気分は残り、エドはしばらくロイに向き直ることができなかった。
「……鋼の。君はさっき"また"と言ったな?」
 そして耳聡い彼は問う。
 何だかほとほと疲れる展開だ。エドは早速考えることを放棄し、上着のポケットに入れていた写真の束を相手へ押し付ける。
「――これは?」
「土産。あんたにやる」
 ロイは束の間目を走らせ肩を竦めた。
「良い写真だ」
「おかげで俺は余計な汗かいた」
「放っておけば良かっただろうに」
「あいつがあんたに売りつけるって言うから」
 ぶっきらぼうなエドの答え方でおおよその事情に見当をつけたらしい。彼は如実に表情を穏やかにする。
「……私は君に守られたのか」
「ま、たまにはな」
「なるほど。愛されていると確認できて嬉しいよ――ところで私の愛も信じてくれる気にはなったかい?」
 その問題もあった。
「二時間か……」
「二時間だ」
 エドは男の様子を吟味する。
 褒めてくれと言わんばかりの瞳だった。謝罪は受け付けないくせに、しっかり報酬は請求するのだから、総じて差し引きゼロ。つくづくエドの気遣いを嫌う相手である。
「……少しはね」
 だからきっとこういう言い方で良いのだろう。
 ロイが笑った。
「待った甲斐があったよ」
「あれ? 珍しく過小評価だな」
「なに、あとで追加サービスを請求するさ」
 そんなことだろうと思った。エドは溜め息をついたが、今日ばかりはその提案を甘んじて受け入れることにした。