終章
「だから、いいって! どうせまたすぐ会うことになるんだし、向こうも忙しいに決まってる!」
「でも今回はすごく面倒見てもらってるんだよ? ちゃんと挨拶してから行こうよ」
「平気だっつーの! 面倒だと思うんだったら最初から指一本動かしてねーよ。確かに首突っ込んだのはオレたちのせいだったかもしんねーけど、ああいう性格の相手だぞ、途中からおもしろがってたって! 大体一人でいいとこ取りじゃねーか、どうしてオレが頭下げる必要がある!」
さていつ声をかけたものか。
軍属病院の通路である。ひとつの曲がり角を挟んで、向こう側とこちら側。ロイは壁に寄りかかり、兄弟が己のことで言い争っているのを聞いている。
エドは相変わらず薄情だった。元気になった途端イーストシティを動き出そうとしているのはまだ良いとしても、ロイに一言の挨拶もなく旅立つのはいただけない。エドならきっとそうすると思って来てみたら、やっぱりそうするつもりでいる。半分てれ隠しもあるのだろうが、好きだと告白して好きだと返された仲としては、もうちょっと配慮があってしかるべきだと思うのだ。
「……あー、もう! 本当にいいって! ここでこんなことしてたらあっちが来ちまうだろ! こういう時は変に勘がいいんだからさ!」
ロイはこっそり笑う。向こうもこちらの性格は熟知している。
そろそろ声をかけて驚かせてやるべきか。わくわくしているところで、全くの第三者に先を越されてしまった。
「……あれ? キミら、もう出発する気?」
聞き慣れた声に、ロイは思わず向こう側を覗いて確めていた。やっぱりリズマンだった。
「おー! 良かった、お前には挨拶してこうと思ってたんだ!」
エドのリズマンに対する態度は、暗示から目覚めて以来、一変していた。
どうやら夜毎の見舞いの間に何か余計な話を聞いたらしい。
ロイが語った話を覚えていたことから言っても、エドは眠っている間に話しかけられたことをしっかり記憶しているようなのだ。先日なんかは、もう少しリズマンにかまってやれよ、などと言われた。君は浮気を推奨するのかと尋ねたら、バカじゃねぇの、と冷たく返された。
ロイに挨拶がなくて、どうしてリズマンにはあるのか。さすがにむかっ腹が立つ。
「もうちょっとじっとしてた方がいいんじゃないの? あんまり元気そうにしてると、大総統からまた呼び出しかかるよ。向こうじゃ事件の真相まだ探ってるみたいだし」
「それはオレも聞いてる。平気平気、そういうのは全部大佐が上手いことやってくれるはずだから」
「……ずいぶん信用してんだね」
「信用っていうか……、知ってるだけだろ。お前だってそうだ、大佐は知らんぷりしてるけど、今回のことは絶対庇ってると思うぞ?」
「わかってるよ、僕だって中央から全然呼び出し来ないし。そういう余計なことばっかりされるから、僕はあの人が嫌いなんだ」
エドが苦笑うのが聞こえた。
「手が回りすぎんだよな、大佐の場合」
「しかもこっちが気付かなきゃ気付かないままにしてるところに腹が立つ」
自分の悪口を楽しそうに言い合われるのは好きではない。ロイはますます眉をひそめて彼らの話を聞いた。
いっそ顔を出してやろうか、ちょうどそう思った頃リズマンは立ち去る気配を見せる。
「ま、元気でいなよ。弟くんもね、こんなガサツな兄貴じゃ大変だろうけど」
「お前、いっつも一言多いんだよ!」
「リズマンさんもお元気で」
「ああ。じゃあね」
曲がり角の向こうは、再びエドとアルフォンスだけになった。
「それにしても……兄さん、ほんとにリズマンさんと仲良くなったよね。あんなに毛嫌いしてたのに」
「あいつも大佐に反発すんのに理由があったってわかっただけ。別に共感したわけじゃないけどな。ただ、大佐の悪口思いっきり言い合えるの、あいつくらいだし」
「それが楽しいの?」
「気持ちいいだろ?」
そうかなぁ、アルフォンスは不思議そうだ。ロイだって不思議である。
もう我慢も限界だった。ロイは精一杯苦々しい顔を作って目の前の角から出ていくのだ。
「――ずいぶんな言われようだな、鋼の」
エドは、げげっ、などと本当に嫌そうな驚き方をしている。
愛が薄い。ロイは内心悲しくなった。
「リズマンに別れの挨拶ができて、私にできないというのは何だろうな。新手の嫌がらせかい? それとも私の愛を試しているのか?」
「そういうとこが避けてる理由なんだろ! 気付けよ、いい加減!」
「兄さん、兄さん。ちょうど良かったじゃないか、早くお礼言わなきゃ」
「ええ? いらねーって!」
「いるよ、何言ってんだ。大佐、今回は本当にお世話になりました! ほら、兄さんも!」
「ヤダっつーの。アルもそんな相手に頭下げんな」
「兄さん!」
ロイの気分はますます急降下していく。兄弟は相変わらず仲が良かった。目に痛いほどだ。
「……鋼の」
「んだよ?」
「私はいつか八つ当たりしそうだと言わなかったか。これ以上私の目の前でそうしているのなら考えがある。嫌がらせの方法は既にいろいろ検討済みなのだが、今行ってみてもいいか?」
「バ……ッ!」
エドが本気で慌てるのがおかしかった。全く会話の意図が読めていないアルフォンスを眺め、真剣な表情をしているロイを眺め、冷や汗を流している。
「お、大人げないぞ!」
「大人げないのはどちらだろう?」
「あんただろ! 言っとくけど、オレは子供だ、大人げなんかなくったっていーの!」
「そうか。ではやはり嫌がらせを……」
エドは泡を食ってアルフォンスを逃がしにかかった。二人きりで話したい云々。もちろんロイが最初からそのつもりで言ったなどとは気付きもしない。
アルフォンスを先に門前へ向かわせ、彼はようやくほっとしたように息をつく。
「……ったく、本気で大人げないぞ」
「ひどいのは君だよ。別れの時くらい普通にしてくれてもいいじゃないか」
「普通にってなぁ……大佐ができなくしてんだろ?」
「私が? どうして?」
「……あんた昨日オレに何したよ?」
「何かしたかい?」
ロイは平然と返してやった。途端に真っ赤になる顔が愛しい。ロイはもう一度繰り返す。
「……私は何かしたか?」
「あんな……っ、あんなことしといて、普通に会って話せるかって言うんだ……っ!」
昨夜ずいぶん元気になっていたエドを良いことに、ロイは無体を働いた。もちろん無茶をさせたかったわけではないので誠心誠意丁重に扱わせてもらったつもりだ。ただしエドは気に入ってはくれなかったらしい。
「いいじゃないか、一度くらい。何事も経験だぞ、鋼の」
ロイが言うと、それこそげっそりとした表情になる。
「あんな経験いらねーや」
「そうかい? 私は楽しかったのだが」
「オレは楽しくなかった!」
「そうか。では次はもう少し趣向を変えてみよう」
「いんねっつーの! 変な工夫すんな!」
「するよ? ああいうのは二人とも楽しい方がいい」
エドが言い負けして溜め息をつく。
「大佐……、オレ、本当にあんたの愛人になったのか?」
「私が君の愛人でもいいよ?」
「どっちも変わんねーよ」
とうとう彼が苦笑する。エドはロイのわがままに弱かった。
「いいよもう。……普通にしてくれ」
「了解した。君は諦めがいい、きっと大物になる」
「世辞はいらねー。大佐に言われると悲しくなる」
最近になって気付いたことがある。
ロイはエドが相手だと本当に自分をあるがままに話すことができる。駆け引きや損得も含め、ずるい部分や冷酷な部分、甘い部分ややわらかい部分まで、とにかくどこまでも自然でいることができた。だからわがままも言うし、時には他の誰にすることもないような気遣いもする。
大切な相手だと思った。きっと深く付き合えばどんどん大切になる相手。
「……鋼の。たとえ愛人で駄目になっても友人には戻ろう」
「急に何言い出すんだ」
「いや。今のうちに約束を取り付けておこうと思ってね」
「約束?」
「君とこんなふうに話せるのなら、本当は私はどんなふうな関係でもいいのかもしれない」
「――…………」
「君が好きだよ」
ロイが笑うと、エドは小さくうつむいた。
「……あんたほんとにバカだね」
「そう言ってくれるのは君くらいのものだ」
「みんな見る目ないんだな」
「私の演技に騙されてくれる素直な人間ばかりなんだ」
「それってオレがひねくれてるって言ってんのか?」
「とんでもない。特別な相手だと言っているんだよ」
エドも笑った。
「ものは言いようだよなー……」
そうしてまた二人は別々の道を歩くための準備をする。
季節が移り変わるように当たり前に離れていく。
日が昇り、花が咲き、星が巡る、全ての一日を。
どこかで笑うもう一人の存在を思い出し、前進するための糧に変え、生きていく。
"I care for you" that's all I wanna tell you
*作中の「愛人」は「愛する人」の解釈でお願いします