君を軍部に引き入れたことを何度後悔したか知れない。
今更こんなことを告白すれば君は呆れるのだろうか。それとも怒るか。
ひとつだけ言い訳が許されるのなら、少なくとも君に初めて出会った当時の私は、己の野心で目を曇らせた一将校に過ぎなかった。片田舎で発見した血痕だらけの錬成現場に驚く反面、これほどの無茶を試みる人物なら実験のために金と権力を欲しがるかもしれないと打算した。実際に君が固執したのは弟と君自身の身体だったけれども、軍旗に膝を折る理由など君の中にだけ存在していればいい。私は君を新しく手に入れた駒のひとつとして計算した。
適当に話をして適当に親しくなり、機会があれば使い、最後には捨て去る未来計画――
つまり、当時の私には君を人として扱う気など毛頭なかったのだ。人として認識してはいなかったからこそ、見るからに手足の伸びきらない子供の君を軍部に引き入れた。私は、一年先の自分にも二年先の自分にも、変わらぬ強い野心があることを信じて疑わなかった。
我ながら愚かだ。変わらぬものなど見たこともないくせに、己の中にはあると盲信したのだから。
もちろん今でも野心はある。しかし形は変わってしまった。君の背が伸びたと感じるたび。君が怒り嘆くたび。君と話す時間が増えるたび。君が私を呼び笑うたび。強固にこびり付いて独力では剥ぎ取ることも叶わなかったものが削り取られていくのがわかる。
いつだったか、どうして上を目指すのかと君が尋ねたことがあった。どうして、と尋ねられて、私が密かに驚いたことを君は知らないだろう。
驚いたのは大した理由がなかったからだ。君が国家錬金術師の資格を取ると決意した、その何分の一かの重さでも私の中に存在していたなら、私はきっと尤もらしく君に未来を語ったに違いない。しかし私の中に清廉潔白な誓いはなかった。私はただ、誰かの駒にはなり得ないポジションが欲しかっただけだ。
君が親しみの色を濃くして笑いかける男は、これほど中身のない男らしい。そんな男がどうして君に生きる術を与えることができようか。
私が君に与えたものは些細なきっかけでしかなかった。そこで立ち上がったのは君の足だ。前を見つめたのは君の瞳だ。見えたものを掴んだのは君の手だ。私は何一つ君に教えたりはしなかった。ところが君は錯覚した。きっかけこそが素晴らしかったのだと――勘違いをした。
勘違いだ、それは。
「恩など感じない方がいい」
格好ばかり余裕ぶって誤魔化してはみたものの、君は不思議そうに私を見ただけだった。
仄暗い酒場の片隅。今や、一緒に連れて来た部下たちは全員が好き勝手に飲み騒いでいるにも関わらず、君ときたら飽くこともなく私の隣に座っている。
君はいつも最初だけ私といるのを嫌そうにする。まるで決まった礼儀作法のように苦い顔をし、それから一度嫌がったのだから大丈夫という具合に笑って見せる。おかげで私は君の信頼に気付かぬふりをするので精一杯だ。
「オレが大佐に恩感じてるように見えるのか?」
君は本当に不思議そうに言った。では、今こうして私と一緒にいる理由をどう説明する気なのかと逆に問い返してやりたくなる。もちろん私はそんな己の首を絞めるようなことを言うつもりはない。
「恩だろう? 任務に関係のない町の不正をこっそりと報告したり、私の部下たちの我侭を聞いて酒の席に付き合ったり、今こうして私の隣に座っているのも」
「別にそういうつもりじゃないけど……」
「私はここにいろと君に命令した覚えはないよ」
だから恩という言葉で誤魔化されてくれ。私の願いは、しかし君の聡明さの前では無力に等しかった。
「……あんたの言葉には時々わからないことが混じる」
小さく眉を顰め、不服げに唇を尖らせ、君は真っ直ぐに主張した。
「しかもあんたは、わからないのにそうなんだと思わせるような言い方をする。うっかり信じそうになるけど、そういう時は、あとから考えてみるといつも納得いかないんだ」
「考えなければいいだろう?」
「やだよ。自覚がないんなら言うけどさ、大佐。あんたの言葉は妙に残る。耳とか頭だけじゃなく、手とか足とか服にも残るんだと思う。旅の最中に急に思い出して、ああこういうことだったんだって気付く」
なんという告白。無自覚じゃなければ、有無を言わせずその口を塞いでやるところだ。
「……それはそれは。君の身体に残れて光栄だ」
「変な言い方するなよな。だから……オレを混乱させようとか子供扱いしようとかからかおうとか、とにかくそういう目的で意味不明のこと言うのやめろよ、無駄に頭使うだろ」
「別に言葉のまま取ってくれればいいじゃないか、それですぐに忘れてしまえばいい」
「ムリ。納得いかないし、いかないから考えるし、考えたら気付くきっかけになる」
残酷なことを平然と口にした君は、ふと笑った。
「あんたは良く最初の一回だけしかくれてないみたいに言うけどさ、ここ数年のオレのきっかけはほとんどあんたが落としてったようなもんだ。全部が嬉しいとか楽しいとかじゃなかったからあんた自身に恩を感じちゃいないけどね――ほら見ろ、結論が出た。これは恩じゃない」
騙されなかったぞと子供の顔で勝ち誇り、君はほとんど砂糖水のような酒を飲む。
私の言葉を否定できただけで満足する君。その言葉を否定した時に、浮き彫りになる真実に怯えたりはしないのか。
私は君ほど真っ直ぐでもなければ勇敢でもない。苦難があるとわかっているなら予防策を講じずにはいられない。
「……そうか、ではつけ込んでみるかな」
せいぜい冗談好きな男の顔で言ってやろう。君が嫌う下品さと無神経さで言葉の全てを完全防備して。
「恩ではないならそれは好意だろう、鋼の? 一晩くらい私の部屋で鳴いていかないか。鳥かごはないが君を繋ぎ止める腕ならここにもあるよ」
私はわざとらしく声をひそめた。
意味を解した君の行動は早かった。それでも機械鎧の右腕を振り上げなかった優しさには頭が下がる。
大人しく頬を叩かれ、私は悪酔いした男らしく片頬だけで笑って、傷ついたように目を見張る君を見る。
どうか早く見限ってくれ。軍を――私を。
「飲みすぎだ、あんた」
「そうかな。君がそう言うのならそうかもしれない」
「……オレが女に見えるのかよ」
「いいや」
答えれば理解に苦しむと言わんばかりに眉を寄せる。
理解しなくていい。君の心に私の居場所を針の先ほども作らないでくれ。一日でも早く君は君の野望を達成し、人が人であることを忘れた場所から抜け出してしまえ。間違っても私を君と同じ世界に立つ人間だと思ってはいけない。私は自分が生きるためならばいくつでも駒を拾い、駒を捨てる。そうしてこれからも生きていく。
私を、君の枷にはしないでくれ。
「……大佐ってさ」
酒で喉を潤す私に、君は苦りきった様子で言う。
「時々これ以上近づくなって言うみたいに笑うよな」
全くもって君は正しい。正しいくせに、どうしてまだ隣にいるんだ。
私は笑いながら君のための甘い酒を追加注文し、笑いながら言葉遊びじみた会話を続ける。君が笑うのを見て己も笑い、延々と笑える己をまた嗤った。
君と出会い三度目の冬がやって来る。
今年の冬、私は一体何人の軍人を殺すのか。その中に君の小柄な身体がないことを祈っている。成人した男性でもなく女性でもない―― 一見してすぐに子供とわかる君だから、骸が出れば嫌でも私の耳に届くだろう。
他の軍人が何人犠牲になろうが知ったことではない。むしろ軍上層部の要人から灰になって行けばいい。だが、もしも君が災いに巻き込まれるようなことになれば、私はこの身の生き汚さを贖うよすがを見失う。
いくら骨まで灰と化す黒焔といえども君の機械鎧は喰い残すだろうから。万にひとつの時は、その機械鎧で胸でも貫くことにしよう。