雪待ちポルノ 四幕

01
 明け方近くだった。朝の匂いはするが、まだどこもかしこもが夜の暗がりに沈んだ時間帯である。
 耳が水音を拾った。
 ばしゃばしゃと何かに当たって激しく跳ねる音。それから流しのタイルで砕ける音。ちょっと水道を使っているという雰囲気ではなかった。ほとんど貯水池を空にしそうな勢いで蛇口が開かれているらしく、排水溝が間に合わず、どうどうと水流が渦巻く音までする。
 エドは思わず飛び起きていた。
 部屋は暗く、暖炉でちらちらと炎が燃えているだけだ。しかしすぐ脇の流し場の様子は、その炎だけでも充分に見ることができた。
 水道を使っているのはロイだった。
 白いシャツの背中が見えた。エドは布団から抜け、階下の彼の元へ近寄った。
「た――」
 大佐、と、呼びかけるつもりができない。
 声に弾かれたようにロイが振り返る。
 その両手も胸元もずぶ濡れだった。発火布をつけた左手もずぶ濡れだ。だが彼の左腕は肘上まで真っ黒なもので覆われていた。それはぞろぞろと虫のように蠢く何かである。濃くなったり薄くなったりを繰り返しながら、彼の腕の上で呪詛を吐き散らし躍動している。
 黒い焔だ。純粋な闇色ではなく、赤や黄色が微妙に混じった混沌の黒。
「……とうとう見られてしまったな」
 ロイが口許を歪めながら言った。
 エドは声もなく彼の傍に近づいた。出しっぱなしの水道の下で、ロイの左手は生き物のような黒焔に絡みつかれたままだった。
「消え、ないのか……?」
 エドの見ている前で、ロイは空いた片手で水を掬ってかける動作を反復する。しかし何度そうしても黒いものは水に溶けはしないのだ。
 慌ててエドも同じように水へと手を延ばす。しかしロイの制する声が早かった。
「いいよ、君まで濡れることはない」
 ――まただ、また遠ざける気でいる、この男。
 エドはかっとなって彼の脇へと身体をぶつけた。そして遠慮なく両手で水を掬い、その左腕に投げつける。
 ばしゃんと派手に跳ねた水は彼の腕ばかりでなくエド自身の身体も濡らしたが、かまうものか。
「オレは! こんな時にあんたを一人にするためにここにいるわけじゃない!」
 今朝の水は指を切りつけるように冷たい。その水を前髪の先からすら滴らせ、一体いつから一人で流し場に立っていたのだろう。水まで使って焔を消そうとしているということは、既に彼の錬成では勢いに追いつかなくなっているということだ。にもかかわらずエドに手伝えの一言もない。
 呑気に寝ていた自分が嫌になる。
 叱りつけたこちらに対し、ロイは何も答えなかった。ただ「すまない」と一言だけ呟いて、あとはエドの手伝うに任せた。
 黒焔が彼の腕から剥がれ落ちて行ったのは間もなくだった。ぼろぼろと――何か外殻でもこそげ落ちていくような剥がれ方をした。
 焔の形をしていながら明らかに自然のものとは別物だった。何より少しも温度を感じない。水を蒸発させることもなく、エドにはそれは人体にまとわりつく生き物のように見えた。
 すっかり黒焔が失せたあとも、しばらくロイは腕を水に晒し続けた。
 彼の顔からは表情が消えていて、痛いとか辛いとかが少しもわからない。
「――……大佐、大丈夫か……?」
 何と言って良いかわからず、そんなふうにしか尋ねられなかった。ロイはこちらも向かぬまま、かすかに笑って水道の蛇口を閉める。排水溝から流し場に溜まった全ての水が流れてしまうと、部屋はたちまち静寂を取り戻した。
 彼の上半身はずぶ濡れだった。長時間冷えた水の下にあった手は、こわばって震えているようにも見えた。
 エドも濡れたが彼の比ではない。とにかくタオルで水気を拭い、突っ立ったまま動かない背中を押して、暖炉の前へと移動する。
 薪の上で赤く揺れる炎を目に入れたロイは、ようやく安心したふうに溜め息をついた。

 夜はまだ明けない。
 濡れた服を脱いで着替えを済ませ、上着の代わりに毛布を巻きつける。そうする間もロイは何も話さなかった。
 あまり追求されたい話ではないとはエドにも良くわかっていた。しかし、こちらから問いかけないことには、彼という男は己の苦痛を人に分け与える術を持たないらしい。余計なことはあれほど雄弁に語って見せるというのに、肝心なところで無口になる。
「……いつも、あんななのか?」
 決して驚かせないよう静かに言った。ロイもエドと視線を合わせ、微笑みに似せた表情で静かに口を開く。
「いろいろだよ。錬金術で中和されてすぐに消えることもあれば、水でも追いつかないようなこともある」
「……熱い? ……痛い?」
「少しね」
 彼の少しがどの程度を示すのか想像もつかないのだ。エドは言葉に詰まってうつむいた。
 ロイがそっと笑う。
「君がそんな顔をすることはないよ?」
 なぜ気遣う側の自分が彼に慰められてしまうのだろう。上手くできないことがもどかしかった。ロイはエドの言葉を待たず、小さく続けた。
「……死なないだけましだ。そうだろう?」
 そうだ。
 彼の話で行けば、おそらくここで抑えられた黒焔は全く関係のないどこかの軍人を焼き殺す。もしかしたら一度くらいは顔を合わせたことのある相手かもしれない。それでも、エドは彼が焔に取り殺されなくて良かったと思う。生きていてくれることを、嬉しいと思う。
 声にするにはあまりにも欲深い感情だった。エドはただ、彼の肩口に額を押し当てることで気持ちを伝えた。
 ロイが毛布の上からこちらに縋り付く。
 甘えろと宣言しておきながら、自分の両腕は彼を包み込めるほど長くも深くもない。熱が通っているのは結局この身ひとつだけだ。
 彼にあたたかいと思ってもらえるのも。この身だけ。
「……雪……」
「ん……?」
「雪、まだ降らないね……」
「うん……」
 今だったら賭けも無視してしまえると思った。
 緊張の滲む沈黙にロイも気付く。不意にエドの顔を上げさせると、じっと瞳を覗き込んでくる。
 何が見えたのかは知らない。ただ、次に彼の顔に浮かんだのは本物の微笑みである。
 そんな顔をさせたかったのだ。
「いつも驚かされるんだが――」
 彼は小さくこちらの耳元で囁いた。
「君は意外に積極的だ」
「バカ」
 エドも笑う。
「子供は好奇心旺盛なんだよ」
「なるほど。大人は保守的だが都合主義の生き物だよ」
「覚えとく。今後の教訓にする」
 そうしてくれ、ロイも笑って最初の口付けをエドへと落とした。

 

02
 まだ半分も温もりきらないロイの手は冷たかった。
「君は温かい」
「大佐が冷たいんだ」
 明らかにふざけ半分で腹から胸にかけてをぺたぺた触られる。彼はエドが逃げればますますおもしろがって悪乗りした。やられてばかりが悔しいので、こちらも彼のシャツの隙間から機械鎧の手で触り始める。
 冷たいのにお互い笑ってしまうのが不思議だ。こんな時はもっと緊張するものだと思っていた。ぐずぐずと解けた毛布に身体を半分入れたまま、体温の違う相手が同じ温度に変わるまで探り合う。想像していたものと違う気がしたが、これはこれで楽しい。
 しかし、散々笑いながら触りまくっていたロイが、難しげな顔をして手を止めた。
「うーん……」
「何だよ?」
「いや、君はやっぱり薄いなぁ。痩せているわけじゃないけれど……あちこち成長段階な感じがする」
 肩甲骨の辺りをくすぐられ、背骨の尖りを確認される。
 ロイの言い分に納得できず、エドも同じように彼のものを確かめてみた。
 触ってみて驚く。確かにロイの身体は大きな骨でできている。
「……こんなになんの? いつぐらいから?」
「いつって。私が君ぐらいの年齢の時はもう少し育っていた気がするなぁ。でも良くはわからないよ、自分がいつから大人だったかわからないし」
 そんなものかと思う。
 エドはひとつひとつ手のひらで彼の身体の感触を覚えていく。どの骨も肉も、当たり前のことではあるが、自分のものとはまるで違っていた。
「……ここは、感覚があるのかい?」
 ロイの手は今、エドの右肩の機械鎧とその継ぎ目を行き来していた。
 義手を使うようになって以来、人からいろいろ尋ねられたが、ロイほど明け透けに疑問を口にする相手も珍しかった。エドは苦笑して「ないよ」と答えた。
「ここは?」
 肌と鋼の境目、それでもそこも機械鎧の上だ。
「ない」
「ふぅん……でもここら辺は温かい」
「そう、なのか?」
「ああ。温かいよ、少なくとも私の手よりは」
 見てもいいかい?
 少しだけ色の違った問いだった。エドは束の間躊躇し、覚悟を決めてうなずいた。
 ロイはこちらのシャツの釦を丁寧に外してしまうと、大きく袷を開いた。肩口を晒させ、機械鎧のネジや鋼の切断面、外から見える配線の一本、擦り切れた傷ひとつに至るまで、一体何をそんなに熱心にと思うくらい時間をかけて目で追い、指のはらで触れていく。
「……珍しいの?」
 どうにも間が持たせられずに尋ねれば、彼は笑った。
「珍しいと言うか……不思議でね。あんなに自由に動くのに温度がなくて固い。きっと私が叩いたりつねったりしても痛くはないんだろう?」
「当たり前のこと訊くなよ」
「うん……でも……何だろうね、見ていると触らずにはいられない。感覚があればいいのに」
 継ぎ目の上に口付けられた。確かに感触はなかったが、ほのかに熱が灯ったような気がして驚いた。
 それから機械鎧に半分隠れた皮膚の、肉が捻じ切れた痕にも彼は同じように口付ける。 お世辞にも綺麗とは言えない色合いの箇所だ。わざわざそういう場所を選んで触れていく彼に理由を訊いてみたかったが、答えを知るのが怖くもあった。結局問うことができずに黙っていると、ロイこそ困った様子でエドを覗き込むのだ。
「……私は君を不快にさせているか?」
 彼が不安そうにしていることが意外だった。
「そんなこと……ないけど……」
「本当に?」
 二度も問われればエドも疑問を隠してはおけない。
「じゃあ……あの、訊いてもいいか」
「うん」
「えっと……その、傷のとこ……あんまりキレイじゃないから……」
「うん」
「なのに、何でそんなとこばっかりいっぱい……」
「うん……」
 ロイがまた肩の傷痕に視線を落とし、今度はそうっと指先で撫でた。
「大した理由はないんだ。ただ痛そうに見えるから……どうにかできないかと思っただけだよ」
「……もう痛くないよ?」
「うん」
 それでもロイの指はやさしかったし、再び落ちてきたキスもやさしかった。エドはひどく彼を抱きしめたくなり、しかしごつごつとした機械鎧の表面を思えば、そうしてはいけないと思った。多分引き寄せるとロイが痛い。
「……大佐。オレ、シャツ着てもいい?」
「どうして? 私に触られるのが嫌かい?」
「そうじゃなくって……これで触ると大佐が痛いよ?」
 言えば、ロイは一瞬ひどく傷ついたような顔をした。
「いらないよ、シャツなんか」
 即座に言い切った声は明らかに怒っている。
 しかもエドが身動く前に、シャツは乱暴に腕から抜き取られ、部屋の隅へと放り投げる徹底ぶりだった。
「――こっちも。いらない。全部」
 あれよあれよと言う間に、寝間着代わりにしていた緩めのパンツに下着も毟り取られる。 エドを裸にしたあと、ロイもさっさとシャツを脱いでしまうのだ。そしてこちらが逃げ出すより早く、何も隔たりのない状態で抱きしめられた。
 機械鎧はごつごつとしているに違いないし、何より絶対に彼の素肌よりも冷たい。ところがエドが身を離そうとすると余計にぎゅうぎゅう引き寄せられて困った。離れたあとにネジのあとすらつけてしまいそうである。
「た、大佐……っ、こら! ひっつきすぎだってば……っ」
「うるさいよ」
「うるさくないっ」
「うるさい。君は黙ってじっとしていたらいい。あんまり騒ぐとひどくするよ?」
「ひ、ひどくって……」
 エドが情けない顔をすると、ロイはますます冷たく言った。
「口では言えないくらいひどくだよ。ちなみに言える程度のひどくと言ったら、身体中舐めまわして唾液まみれにするとか、噛み跡だらけにするとか」
 青くなるべきなのか赤くなるべきなのかもわからない。
 エドは貝のように口を閉ざし身体を固くした。
 ロイは意地悪くこちらを確認する。
「そうそう、そうしてじっとしてなさい。丁寧に全部を見て全部に触ってあげるから」
 それはひどいとは言わないのか。
 エドが悔しげに睨むと、彼はようやく表情を緩めるのだ。
「……触らせてくれなかったら君の方がひどいよ。私だってセックスは怖いよ、自分の何が君を不快にさせるかわからないし、何がつらくさせるかわからない」
「……大佐でも怖いの?」
「怖いよ。君は怖くないのか」
「怖い、よ……」
 綺麗なとこだけ見せることができればいいのに、それができそうもないから怖い。
「……今だけ。せめて普通の身体だったらなって思った。機械鎧つけたこと後悔したわけじゃないんだけど」
「私のために?」
「自分のためでもある……オレって傷だらけで、見てて気持ちのいいもんじゃないだろ。それに普通の身体だったらしがみ付けた。これだと力加減が怖くてできないし」
「してもいいよ?」
「怪我したあんたは見たくないからしない」
 真剣に言ったエドに、ロイもそれ以上は言わなかった。少しだけ笑って、
「じゃあいつか私が鋼の身体を手に入れたら遠慮なしに抱きついてくれ。とりあえず今は私が遠慮なしに抱きついておくよ」
 言い方がおかしくてエドも笑ってしまった。
「なんか変な感じ。あんたやっぱり上手いんだ」
「まだ何もしていない」
「そうだった。する?」
「する」
 笑い合ってキスをした。ちゃんと舌で触れ合うものだったにも関わらず、少しも性的な意味合いのなさそうなキスだった。よっぽど初めての時の方が強烈だった気がして、エドは途中から喉で笑うことを止められなくなった。
 ロイは不思議そうな顔をしたものの何も訊かず、笑うエドが息継ぎで困らないように、唇で唇を挟むバードキスを繰り返した。
 距離がゼロになるということを初めて知った気がした。
 当たり前に肩や胸、腰が触れ合い、手が相手の身体の上にある。呼吸も鼓動も当たり前すぎて特別に感じる暇もない。
「……た、いさ……髪、意外に……やわらかい、ね」
「そうかな。君よりも硬いと思うけど」
「ん……。でももっと……硬いと思ってた」
「そう……」
 胸の尖りを舌で捏ねる彼に震えながら話しかける。ロイは律儀だった。エドが話しかければどんなものでも答えをくれた。てれ隠しだとわかっているだろうに、面倒くさがる様子もなかった。
 暖炉の前で寝転んだまま。エドの機械鎧の片手は辺りに広がった毛布を、もう片方の手はロイの髪の中にある。
 ロイの両手はエドの腰をしっかりと抱き寄せていた。衣服を取られてしまったので、彼の鳩尾辺りに熱を溜め出したものが直接触れてしまっている。最初は気にしたが、ロイはさも当然の顔で全く離れてはくれず、エドが困った顔を見せるとなおさら強く抱き寄せて刺激を与えるのが楽しくてならないといった様子で笑った。
 エドが諦めるのは早かった。ロイは遊んでいるみたいに身体のあちこちに触れてくる。本当に、感触のひとつ柔らかさのひとつを確認するようだった。肋骨の骨と骨の隙間にもひどく興味を示して、軽く歯を当てたり舐めたりする。もちろん、元々触られればくすぐったい場所なのだ。エドが笑って身をよじるとロイは意地になったみたいに夢中になり、エドの肩口を抑えつけてまでそこに口付けた。
 笑っていれたのも最初だけだ。
 臍に指を入れられ、腹に噛み付かれて力が抜けた。胸の頂を唇で挟まれたらもう震えが止まらなかった。
「……ふ、ぅ……」
 初めてそれらしき声を漏らすと、ロイは身を起こしてエドの顔を覗き見た。
「……なに?」
「いいや。何だかいいなと思って」
「え?」
「君のそういう声は好きだ」
 屈託なく笑う男をどうすれば良かったのだろう。もっといやらしく言ってくれれば殴るとか突き飛ばすとか、とにかく何とか反発できた気がするのだが、ロイは本当に無邪気に言った。 「声を出せ」とストレートに言われた方がまだましだった。そんなふうに言われると、声を出さないエドが悪い気がしてくるではないか。
「……大佐、ずるくない?」
「何がだい?」
 天然なのかそうじゃないのかもわからない。
 しかしエドは負けたと思った。エドの身体を好きにしているのは確かにロイの方ではあったが、ひどくロイを甘やかしたい気分になってしまったのだ。
 声が好きだと言うのなら極力聞かせてやろうと思う。
 それでも少しは悔しかったので、生身の片腕でぎゅうっと頭に抱きついてやった。
「……動けないよ」
「ザマーミロ」
 ロイが笑う。報復のように胸に音を立ててキスされて、エドも笑いながら悲鳴を上げた。
 それから腕を取られ、手首まで何度も口付けされる。
「さすがに機械鎧ではこういうことはできない」
 えらく楽しげにしていると思ったら、痕をつけて遊んでいたらしい。確かに鋼相手ではできない芸当だった。手首にひときわ目立つ色の内出血を作って、同じ箇所を何度も食んだり歯を立てたりしている。
 ロイは同じことをエドの膝上でも始めた。次々に赤い痕が大腿の柔らかい部分についていく。特に強い刺激があるわけではないのに、目で見える位置にそうされると息苦しいような気持ちになって困った。
 機械鎧の左足は特に標的にされた。鋼との境目で皮膚の薄い部分に噛みつかれ、痛みと紙一重の刺激を与えられる。
「や、だ……大佐、や……っ」
 唇でなぞる刺激の合間にそうされるのがつらくて言っても、ロイはこれだけは止めてくれなかった。足を割り開き、ほとんど一周分、何度も細かく歯を立てる。
 そのうち身体の中心で立ち上がった芯にゆるゆると指を絡められ、わけがわからないうちに爆ぜてしまう。ただしロイはエドが身を硬直させてもそこを放さず、滑りを帯びた芯を更にもみくちゃにした。
「ひ、や、ぁぁっ」
 ロイの手は大きかった。腰を一掴みにされ、腿を一掴みにされ、抵抗しようにもエドに楽に動かせてはくれない。彼の肩を押し退けようとはするが、その肩にしても厚く、少し押したくらいではびくともしないのだ。
「……そんなに簡単には退いてやれないよ?」
 目の前にかすかに笑った顔が見えた。エドがかわいくてならないと素直に告げる顔だった。
「まっ……待って、待ってって……や、ぅ……やぁ!」
 腰中がべとべとになるのがわかった。えらく恥ずかしいところを見せているはずなのに、ロイは逆に嬉しそうにしている。わけがわからずエドは泣きそうだった。しかも彼の手は前を揉みながら、どんどん後ろへと進んでいく。
 軽く窪みを爪弾かれた時には本当にどうしようかと思った。
 焦ってロイの顔を見上げたが制止の懇願は声にもならない。そしてロイはと言えば、依然としてひどくやさしい顔を見せながら、
「駄目だよ、必要なんだ」
 残酷なことを言い聞かせる。
「君の中に入りたい。でもここは狭いから」
「んっ……んくっ……で、も……っ」
「駄目だ。ちゃんとしてから」
 言いざま、ぬる、と中に入ってきた感触に、とうとう涙が出た。
「う、うー……っ、ひ、ぁ、ァ」
 痛みこそなかったもののぞっとするような感覚だった。相手がロイではなかったなら、それこそ機械鎧の手で遠慮なく殴って逃げ出していたに違いない。
 それでも実際は、右手は毛布の中でますます拳を握り締めただけだ。
 毛布の中のことなど見えてはいないだろうに、ロイはエドのほつれた前髪を掻き上げ、額や目じりにキスを落とす。いたわる仕草はとても嬉しかったが、ぐしゃぐしゃの泣き顔を見つめられたり、涙を舐められ汗を吸われたりして、綺麗なものなど何一つもない自分が悲しくなった。
「――鋼の。……鋼の?」
 けれど、そんな時に限ってロイはひどく切実にエドを呼ぶのである。あんまり切実だったので無視しきれず、瞼から涙を落として鮮明になった瞳で見ると、彼はほっとした顔をして、エドだけにしか聞こえないような声で、本当に小さく小さく耳許に言葉を落とした。
「――――」
 途端にまた涙が溢れた。
 どうして、と、尋ねたいが声にならない。
 自分の内で彼の指が動く。少しずつ開かれていく。つらくて苦しい上に気持ち悪い。でも、もういいやと思った。
 どれだけみっともない姿になろうとロイが好きだと言うのなら我慢してもいい。
「う……、んっ、ぅ、んんっ」
 まとめた指を抜き差しされ、まともに息ができなくなる。
 思わず咳き込んで、勝手に喰い閉める器官にまたむせて、ロイのキスに何度も宥められた。まるで呼吸の仕方を教えられているみたいだった。
「……痛くない?」
 解けた場所は今はただ熱い。
「……んっ……、ぃ、たく、ない……っ」
 答えると、ロイはやっとエドの下肢を解放し、改めてこちらの身体を抱え直した。
 彼の熱が押し当てられる。
「……あ、つい、ね」
「ん。君も熱いよ」
「うん……」
「……つらい?」
「ううん……」
 ひとつだけ頼んでもいいかい?、じり、と内に進みながら、ロイはひたと視線を合わせ、初めてそれを言った。
「――私を嫌いにならないでくれ」
 こんな時であるのに、エドは笑みを零さずにはいられなかった。
 嫌ってくれと言ったり嫌わないでくれと言ったり。結局彼は嘘も本音も真剣に言うから憎めないのだと思う。
 じっくりと刺し貫かれる感覚に泣きたい気持ちになりながら、こちらを抱きしめる彼の手を探し、見つけたそれを強く握り込む。
 繋がる時は、多分どちらもどうしようもない顔をしていた。
 目で見て、手で触れて、一番弱い場所を晒し合って、緊張しながら、距離を測り合う。痛いのか痛くないのか。気持ち良いのか気持ち良くないのか。近くに行けば行くほど簡単に答えが手に入るから、相手が嫌がるとわかっていることをするのは怖い。
 緩く動いて顔を覗く。ロイは何度もそんなことを繰り返す。エドは引きつるような声を堪えるだけで精一杯だった。与えられる刺激は、何から何まで初めて得るものばかりで、どうしても頭が追いつかない。
 ただ決して嫌じゃないということだけは伝えたかった。
「た、いさ……っ、大佐……っ」
 呼べばちゃんと手を握ってくれる。伝わっているはずだと思いながら、安心できずに口付けをねだる。がむしゃらに口を押し付け合って、舌を絡め合い、それでも足らずに顔中に唇で触れた。
 狂うような一瞬は二人で迎えた。
 指の一本までくたくたになりながら、お互いにお互いの肩の上で息を詰める。
 自分の上で震える身体があることが妙に幸せで深く呼吸したことを、多分エドは一生忘れない。
「……ふふふ」
「……何で笑うかな、君は」
「何だろうな……いっぱい泣いたから?」
「泣いてたね確かに」
「うん。……ふふっ」
 不思議に楽しくて変な気分だった。ロイは呆れたふうに見せかけていたけれども、誓ってもいい、エドが笑ったことに誰より安心したのは彼だったはずだ。
「……疲れたね」
 案の定、ひどく穏やかな声が言った。
「少し寝たらいい。起きたらもう一度風呂が使えるようにしておくよ」
「うん……。大佐は起きてるの?」
「うん。付き合うと言ったら怒るよ?」
「わかった、言わない」
「いいこだ。おやすみ」
「おやすみ……」
 大きな手で頭を撫でられながら、額にキスを受けて目を閉じた。まだ汗も引かないまま、どろどろの場所もべたべたな場所もあったが、不思議と気持ちが良かった。
 エドはすぐに眠りに落ちた。
 天窓から覗く空はすっかり朝焼けの色に変わっていた。

 

03
 エドが再び目を覚ました時には夕方で、おまけに出来すぎなことに雪が降っていたらしい。
 らしい、と言うのは、直接にはエドは雪を見ることが叶わなかったからである。ロイが「雪だ」と言うので窓辺まで行こうと思ったら立てなかった。
 片足は機械鎧ではあったから、どうにか動こうとはしていたのだ。しかし、途中でロイが気付いてエドが無茶をするのを止めてしまった。
「君に必要なのは雪より風呂だな」
 えーっ!と盛大に騒ぐ声はあっさり却下された。ロイはこちらを抱き上げると、窓辺ではなくバスルームへ直行した。
「せめて窓くらい……っ」
 見せてくれてもいいじゃないかと言いかけたエドを、彼はひどく艶やかな笑みで黙らせたものである。
「裸の君が傍でずぅっと眠っている間、私が考えていたことがわかるかい?」
「……絶対ロクなことじゃない」
「正解」
 ロイはエドを浴槽の中に沈めた。
「湯加減は?」
「いい。けど……」
 裸のエドとは違い、ロイはしっかり衣服を身に着けていた。にもかかわらず、彼は濡れることに無頓着なのだ。
 嫌な予感はあった。相手があまりにも上機嫌だったことも不安の一因だった。
 思わず警戒したエドには構わず、ロイは浴槽の上に固定されているシャワーのコックを捻る。顔に直接当たる温かい雨に目を閉じた時、反対端でざぶんと大きな水音がして慌てた。
 もちろんロイだった。彼は服のまま湯に浸かった上、えらく楽しげにエドに命令した。
「さて、鋼の。後ろを向いてくれ」
「な……なんで?」
「何で? 理由はいろいろあるよ、身体を洗わなければならないというのがひとつだし、そのままだとシャワーが直接顔に当たってつらいとか、私が触りにくいとか」
「じ、自分で洗うよ、身体くらい」
「うん、そう言うと思ったんだ。それで私もこう返そうと考えていた」
 嫌な、を通り越して既に不吉な予感だった。エドはじりじりと後ずさりを始めていたが、目の前の男はそんなことを許すほどやさしい男ではなかった。
「私が。見たいんだ、君が私を受け入れた場所を」
 今更暴れても遅かった。エドの足腰は使いものにならず、ばしゃばしゃと盛大に水飛沫こそ上がりはしたが、結局最もロイの望んでいただろう姿に落ち着いてしまった。
 バスタブの端に上半身を寄りかからせ背を向けて、腰だけを彼に抱え込まれた体勢だ。
 文句は一言も言うことができなかった。
 暇がなかった、とも言える。
 後ろを見せた途端に指を押し込まれて。
「ア!」
 ロイが笑うのがわかった。
「まだ柔らかいね」
 当たり前だ。あんなに念入りに解された上に、容量を超えるような大きなもので貫かれて掻き回されたのだから。
「ここ、慣れるととても気持ち良いらしいよ?」
 無責任な話の出所は誰なのか。エドはその瞬間真剣に噂の提供者を呪った。
 けれど実際に今、同じように狭間に指を入れられているにも関わらず、一度目の時に感じた嫌悪感はなかった。ロイにもそのことがわかるらしく、少し乱暴なくらいにエドの中で指を跳ねさせる。
「あっ、ァ、あン!」
 声は内に押されるまま喉から出た。信じられないくらい甘ったるい声だった。自分で自分に驚いて手で口を塞ぐが、ロイが少しでも中を弄れば全く効果は上がらない。
「やっ……なんで……あぁ……っ」
 腕から力が抜けるのもすぐだった。浴槽の縁に何とか肩を乗せてはいるものの、次第にぐらつき水の中に沈みそうになる。結局気付いたロイが排水溝の栓を外した。上からシャワーがかかるので水はすぐにはなくならなかったが、エドは水嵩に従ってずるずると頭を倒すことになった。
 今やバスタブには水溜り程度の湯しか溜まってはおらず、エドの髪はその水溜りの上でゆらゆらと泳ぐ。
 掲げられた腰は、ロイの指を三本も受け入れ勝手に揺れていた。
「は、ぁ……ぁ、ああ、あぁぁ……っ」
 気持ち良いと言うより妙に切ない。
 閉じたがる場所を開かれ、内をじっと観察されているのがわかるのだ。ロイは何も言わないけれども、じくじくと燻る熱はとっくの昔に前にも伝染している。
 蕩けて蜜を零しているのは前なのか後ろなのか。本当はもうどうにかしてほしくて泣きたいくらいだった。
 しかし変化は唐突にやって来た。
「……鋼の?」
 言葉で答えることもできないエドに、彼はまるで実験結果でも報告するみたいに言うのである。
「……ここの中はとても柔らかいんだが、少しだけ硬い場所がある……」
 触ってみてもいいだろうか。
 どういう意味で彼が言ったのかエドには良くはわからなかったのだ。だから無自覚にうなずいてしまった。でも、そう尋ねた時点で、おそらくロイはそこがどういった場所であるかを知っていたに違いない。
「ぅんっ……? ん、ヒ……っ、ヤ、アァ……ッ!」
 目の奥で火花が散ったような感覚だった。
「ヤッ……ゃっ、ヤぁ! 大佐……っ、あっ、あっ、大佐っ、ヤだっ! そこヤだ……っ!」
「いい?」
「良くな……っ、バカ……ッ! ァ、アン! アン!」
 まとめた指で続けざまに突かれて死にそうになる。
「やだ……っ、やだ、もう……っ、アッ! ア! 大佐っ、やだ、やだってば!」
「聞こえない」
「ヤッ――ひ、ぅんっ! ひ、あ! やだ……っ、やめ――やめっ――助け……っ!」
「助けない」
 断言する声は笑みさえ滲ませていた。
 エドは泣きながら彼を呼び続け、一人で恍惚の中へと突き落とされた。おかげでいつ指が引き抜かれたのかも判断ができなかった。気付けばずっと大きなもので後ろから貫かれている。うつ伏せになっていた上体を抱かれ、後ろ手に手首を引かれて悲鳴が漏れた。
 そのまま怖いくらいに奥深くを捏ねられる。
「ああぁっ、ああぁっ、ああぁっ」
 身体が瘧のように震えるのを止められない。何とか振り返ってロイに許しを請おうとするのだが、とうとう放っておかれていた前まで探られて、声が涸れるまで泣かされた。
 その夜は、結局夕食すら食べるのを忘れた。
 一体何度彼に自分を与えたのかわからない。溶けた身体はロイの支えがなければぐたりとくずおれるほどで、ロイはエドがそうして彼に寄りかかるたび、ひどく楽しげにこちらの身体を抱え上げた。