そ れ は 「不 幸 に な る」 と あ ん た が 信 じ た 選 択 肢
こ な ご な に 砕 い て や り た か っ た
光 な ら あ る と 必 ず 証 明 す る か ら
ど う か 生 き て こ の 名 を 呼 ん で
* *
刺激臭が町を覆っていた。
煙と砂埃で前が見えない。流体の幕をかいくぐって路地に立ったエドは、次の瞬間、愕然とたたずんだ。
倒壊したビル。食料らしきものを飛び散らした商店。ひっくり返った戦車。
血と泥に塗れ、焼け焦げた軍旗。地面から吹き上がる地下水──
そして、一面に倒れている人、人、人。まるでマネキンのように手を上げたまま硬直し数人が折り重なっている場所もある。人の形をなしていない者も、肌色が変色した者も、風船のように膨らんだ者も、一様に焼け焦げてそこにいる。
思わず後ずさりしそうになった。エドは瞼を閉じ、何とか最初の衝撃を押し込める。
戦場なら何度も見てきた。どこもひどい有様だった。それに比べるとここはまだ血臭が薄い。まだ──家も形を取りとめ、道も残っているではないか。
震えていても何も変えられない。この状況の中で苦しんでいる人がいる。エドは彼らを救いに来た。当初の打ち合わせ通りに事が運んでいるのなら、人々は川沿いの一角に壕を作って隠れているはずだった。
遠くではまだ爆撃の音が聞こえている。鋭く宙を切り、町を砕く砲弾の音と閃光は、どこか雷を思い起こさせた。
ごぉ……と、地響きがする。地盤が陥没する音。幾多の焼死体が音に共鳴するように震えた。
どうにも息苦しくなって空へとあえぐ。
「……クソ……っ」
ここは本当にアメストリスか。つい三日前まで人々が平和に暮らしていた町なのか。
エドは歯を食いしばって走り出した。死骸を避けることも諦め、足場の悪い中を極力何も考えぬようにして駆け抜ける。
靴に血肉がこびりつく。
「止まるな──進め」
何度祈りを唱えてがむしゃらに走っただろう。
ようやく町の中心部に辿り着いた。かつては噴水があり人の憩いの場であったそこも、もはや瓦礫の墓場だった。石柱や石畳の類まで炎にあぶられ、白く黒く色を変えている。
ところが、そこにぽつんと生きた色がある。エドははっと立ち止まった。
二本の足でしっかりと地に立った人間の背中。鮮やかな濃紺の制服は、アメストリス軍のものだった。
「……大佐……」
声に振り返ったロイは、まず無感動に「鋼の」と呟いた。呟いたことでやっとエドの姿を認めたように表情が動く。ゆらりと持ち上がった手が口を覆い、次に拳を作って息をつき、ようやく冴えた視線をよこす。
一連の動作を目にしたエドはたまらない気持ちになる。
この町で戦っていたのはロイだった。そういう話は先に聞いていた。小隊を率いるのではなく、たった一人で部隊を相手にするのが錬金術師の戦い方だとも知らされていた。恐らくエドが見てきた死体の多くが、ロイが手にかけたものだろう。
「……そうか。君がこの町の先導をするのだったな」
彼は小さく息をついた。そして瓦礫と屍の山を歩き出す。全く視線を合わせぬまま、まるでエドの存在そのものを拒絶した様子に声がかけられない。しかし──
「……君がいるということは、ここは地獄ではないのだな……」
すれ違いざま、聞こえた独白に胸がつぶれそうになった。
エドは咄嗟にロイの手を捕まえていた。彼の手も指も、それに絡めた自分の手も、現実のむごたらしさに凍えきっていた。
「……冷たいな」
ロイが呟いた。
「あんたの手も冷たいよ……」
エドは泣きそうになりながら答える。ロイがふと笑った。
「だが……生きている」
「生きてるよ……」
お互いの手は凍えたまま。それでも、肌を触れ合わせることで確実に灯ったものがある。
あたたかくはなくとも、それは光に似ていた。
希望に似ていた。
* *
「親しい」で思い浮かぶ顔と言ったら決まってる。
ウインリィにピナコに師匠、少し範囲を広げてシグとメイスン。今では同じ年代のヤツとなんて、ウインリィぐらいしか話をしない。そもそも、いつだって一番近くにいて誰よりオレのこと見てたのはアルだったし、むかし学校で会ったどんなガキもただの甘ったれにしか思えなかった。甘ったれとだって遊んでりゃそれなりに楽しかったかもしれない。でも、当時のオレは母さんを錬成したい一心で自分の周りに人がいることも忘れてたんだ。結局アルとウインリィを除けば「友人」と名のつく相手には出会わなかったことになる。
軍属になれば人とのかかわり合いはますます希薄になった。 国家錬金術師の肩書きを晒せば大抵の相手は離れてくもんだ。たまたま知り合ったリンなんてのが特別だっただけで、やっぱりほとんどのヤツはオレを面倒くさそうに見てた。子供は羨ましげに、大人は気味悪げに。世間では大金持ちで頭の良いガキは珍しいらしい。肩書き隠しゃそんなこともないんだろうが、オレは死ぬまで錬金術師として生きていく。珍獣扱いは有名税だとでも思っとくさ。
ただ、同じ珍獣扱いでも、軍部の連中はちょっとだけ違う目でオレを見た。仲間意識? 良くはわからない、でも悪いもんじゃなかった。資格取るまでは嫌な場所を予想してたんだ。内乱で荒れた東部で育てば誰だって軍部に良い感情は持たないさ。けど、いざ飛び込んでみたら出来た大人も多くて救われた。特にアルには良い環境だったと思う。オレに階級と称号がついたせいで、いちいち事情を尋ねてくるような相手も減ったしな。だから本当のこと言うとあんたには感謝してたりもする。絶対言わないけど。
あんたについてはいろいろ複雑なんだ。出会い方が出会い方だった、一番弱いとこ見られた。しかもあれを叱り飛ばしたのもあんただけだった。オレの周りにいたヤツはやさしいヤツばかりで、間違った錬成云々よりもオレの片手片足なくした姿に同情して何も言わなかったんだ。本当はもっと滅茶苦茶に責められるべきだったのに。
初対面で怒鳴られたことがあとを引いて、しばらくはあんたに反抗してばかりだったよな。妙に顔を合わせる機会も多かったから、会うたびにヤな顔をして意地張って強がって突っぱねた。他の相手なら甘えるとこでも、あんたが相手の時だけは絶対に甘えたりしなかった。情報をくすねたい時だって、わざと正面衝突して交換条件みたいなもの作ったよ。
今思うとそういう拘り方全部が恥ずかしい。あんたも良くオレに付き合ったよな? 誰といる時も普通にしてたつもりだけど、あんたといる時が多分オレ一番子供だったよ?
それともあんたも子供だったのかな。あんたがオレを年齢のせいで区別しなかったのは、その場限りでも同じレベルで角突き合わせてたせいかもな。
ただヒューズ准将のことだけは、あとで聞かされて隠しとくなよって思ったよ。 あんたは責めても良かった。確かに軍部の内情も絡んだ話だったから、全部が全部オレたち兄弟のせいだったわけでもないけれど、怒りの捌け口くらいにはなってやれただろう。ロス少尉の時といい、肝心な時だけ理性働かせるから、あんたはずるいんだ。
実はちょっと「友人」みたいだって思うんだけどな、やっぱり素直になれないから違うかな。 一緒にいりゃ楽しいけど、オレが楽しいからあんたもそうだって理論は乱暴だ。 アルに言わせると似た者同士らしいんだけど。
そう言えば、ずいぶん前にあんたの子供の頃の夢を聞いた。政治家になりたかったって言ったよな。この国じゃ政治家より軍人が権力握ってて、実際に将来を考える時期になったら結局軍人を選んだんだって。 仕官学校行きながら国家錬金術師の資格取るあたりがあざとい。最短距離だけ突っ走るとこ、結構好きだよ。それに余分な欲持ってないとこもいい。軍人としてのあんたが大切にしてたのは、戦果より戦歴の方だった。東方司令部にいた時だって、記念章や戦功章メダルや表彰状、全部箱に入ったまま埃被ってたしな。いろいろ言葉で誤魔化すくせ、あんたが欲しがるのはひとつだけだ。 オレとあんた、多分似てるんじゃないよな。 お互い欲しいものがあって必死になる気持ちがわかるから、他よりちょっとだけ目線が近いんだろう。あんたと一緒にいて楽なのはそういうことだと思う。あんたも楽だといいけどな。やっぱり年が違うといろいろ違うのかな。