花と拳銃 02

「公務ってナニ?」
 悟空にしては遅いくらいの問いかけだったと思う。
 彼を五行山から連れ帰ってから最初の一ヶ月、三蔵もできるだけ外出を控え、子供に人並みな分別を教えることを第一としていた。何しろ子供といえども相手は妖怪、便宜を図らずとも、周りが三蔵にそれを求める。しかし三蔵は寺院の最高僧でもあった。いつまでも子供一人にかまっていられるわけはなく、とうとう常の「公務」がやってきた。
 「公務」と一括りに言うが、内容は個人によって異なる。托鉢をする者もいれば、説法をする者、祈祷をする者、同じ寺院内にいても僧によって様々だった。中でも三蔵に義務付けられた「公務」は特殊なものだ。
 一般的には、法力僧、と呼ばれる輩と同等の仕事かも知れない。
 簡単に言ってしまえば、バケモノ退治である。三蔵は幼い頃から人一倍法力が強かった。武術も達者で、術者相応の知識もないわけではない。それなりの道具さえあれば、式神や呪詛も扱うことができた。
 適材適所の法則は、当たり前に寺院にも存在している。いくら最高僧であろうとも、経文を預る身であろうとも、分担される仕事に危険が多かったとしても、三蔵の「公務」は妖怪退治が主になる。
 そういったわけで、「公務に出る」となると、どうしても外出は避けられなかった。もちろんその場合、悟空は寺院に置き去りになるしかない。
 一度目、二度目、三度目までは、悟空の疑問は「三蔵がここに帰ってくるか否か」に偏っていた。だが同様の外出を三度繰り返し、必ず己が戻ってくることがわかると、とうとう「公務」の内容に疑問を持ったらしかった。
 そこで初めて冒頭に返る。
 公務ってナニ?、彼は何の気なしに尋ねたのだろう。しかし三蔵はどうにも説明に困ってしまった。
「……何だっていいだろ」
 適当にはぐらかそうとしたのだが、子供のナゼ・ナニは強い。それまでは本当に話のついでみたいな顔で答えを待っていたくせに、三蔵が言いよどんだと見るや、不思議がって追求してくる。
 別にあるがままに教えてやっても良かった。だが自分でも余計だと思うことに、ふと考えてしまったのだ。
 ──たとえば普通の子供にバケモノ退治の話をする。
 喜ぶかもしれない。その子は人間だから、人間にとって忌むべきものを退治する存在を頼もしく思うだろう。
 しかし相手が妖怪の子供だったらどうなるか。
 曲がりなりにも同族を殺すの殺さないのの話を聞いて、おだやかでいられるのだろうか。
「いーじゃんか、教えてくれても!」
「……坊主の仕事だ」
「だからその中身ー」
「ウルサイ」
 あんまり知りたがるので、ハリセンで頭を叩いて誤魔化した。悟空の顔には不満がありありと浮かんでいるが、「めんどくせぇんだよ」と吐き捨てると、それ以上問いかけることはしなくなる。
 正直なところ、三蔵自身ですら己の気の回しように戸惑っていた。妖怪を殺したからと言って悟空が嫌悪するとは思えない。なのに、この口はそれを告げることを躊躇うのだ。
 きっと悟空があまりにも三蔵を美化しているせいだった。先日、面と向かって「どんなものより三蔵が一番キレイ」などと言われた時には、さすがに焦った。子供が言うことだから、何度そういうふうに気持ちをなだめても、困惑はおさまってはくれない。
 悟空の中の己が変わること。
 結局三蔵が見たくないのは、その瞬間なのだろう。

 そんなある日のことである。
 雑魚相手に予想外の時間を食った。
「公務」を終え、即座に寺院を目指したにも関らず、着いたのは深夜、夜明けまで間もないような時間であった。
 子供はとっくに眠っているものだと信じきっていた三蔵は、己の私室に明かりを灯すや否や驚いた。
 いつも三蔵が座っている椅子に、悟空が膝を抱えて丸くなったまま寝こけている。
 何だか変につらいような苦しいような光景だった。感情として形になったものは、呆れ切った溜め息だけだったが、三蔵はその時、確かにそれ以外の何かで胸中を占領されていた。
 とりあえず抱き上げて寝台に寝かせようとして、ふと、そんなやさしさなど自分ではないと思いなおす。
「……毛布だけで充分だ」
 とにかくその通りに行動した。
 毛布で、椅子の背もたれごと丸まった身体を包む。と、いささか動作が乱暴だったせいか、悟空がうっすらと目を開いた。
「……さんぞ……?」
 呼びかけに答えてやれば、途端に起きようと努力を始める。三蔵は、その手がしきりに瞼を擦るのを、再び毛布で身体をくるみなおすことで防いだ。
「わざわざ起きんな、そのまま寝ろ」
「ん……でも……」
「あぁ、ベッドか」
「ちが……そうじゃなく……」
 何とか目を開けた子供は、まるでぜんまい仕掛けのオモチャのようにこきりと首を折った。
「……オカエリナサイ」
 思わず溜め息が出る。ああ、と努めてぞんざいな返事を返したが、内心はまたもや言いようのない感情で溢れかえっていた。
 こんなのは自分じゃない。思うのに、危なっかしい足取りで寝台へ向かう悟空を支える三蔵がいるのだ。とっとと歩け、うそぶきながら、子供の足取りに合わせている自分。
「……あれ?」
 急に振り向く瞳にどきりとした。
 だが。
「三蔵、ケガしてる……?」
「いや」
「でも……」
「何だ?」
「……血の、匂いがする」
 冷水を浴びせ掛けられた心地だった。知らず後ずさってしまった己の足に、更に慌てる。
「……俺のじゃねぇ」
 堪らなくなって吐き捨てた。
「妖怪殺すのが俺の公務だ。さっきも殺してきたから、そいつの血だろ」
 必要以上に尖った声だった。
 三蔵は本当にその時まで、悟空がこんな話を聞いて良い顔はしないと信じきっていた。次に子供の顔に浮かぶ表情は、嫌悪か驚きか悼みか、少なくとも三蔵に肯定的な表情ではないだろうと覚悟していたのだ。
 しかし、悟空の表情は、そのどれでもなかった。
「……そっか」
 ぽつりと零し、目許を小さく緩ませる。
 笑った、わけではない。けれど笑顔に良く似た表情をしている。三蔵は半分疑いながらも、その顔を食い入るように眺めた。
「──何だ?」
 疑問は早速突いて出る。
 悟空は今度こそ笑みを浮かべた。どこか子供に似つかわしくない、不思議に透明な笑顔だった。
「良かったと思った」
「……どういう意味だ」
「そのまま。三蔵が、敵殺せる奴で良かった」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。悟空は淡々と続けた。
「三蔵がケガしたりすんの、俺すげーヤだ。どんな奴が代わりに死んでもいーよ、三蔵が生きてんなら」
 息を飲まずにはいられない。
「……三蔵が殺せない相手なら、俺が殺す」
 幼い瞳は天真爛漫そのものなのに、その口から告げられた言葉はナイフのようだ。
 三蔵は思わず苦笑する。
 ようやくわかった、悟空は確かに人ではない。
「てめぇに守られるほど弱かねぇ」
 それでもこちらの言葉にうなずいて笑う、彼の無邪気さはひどく綺麗に見える。
 彼の中にある三蔵の存在の重さは、きっと永遠に変わることはないのだろう。その純真さこそが、彼が妖怪である証なのだ。
「……お前で良かったかもな」
 呟きは、もう欠伸している悟空の耳まで届かなかった。

 俺ヲ呼ンダノガオ前デ良カッタ。