こわがり先生 -mellow mellow02-

 カカシにしてみれば軽い思いつきだった。
 その晩は比較的早くに木ノ葉の里に帰ることができたのだ。個人でこなす高ランク任務と言えば、ほとんどが闇夜に紛れて行うもので、それが三度も続けばすっかり昼夜が逆転してしまう。おかげで日中は動き出せず、カカシは入院したナルトの様子を見ずじまいになっていた。
 忍犬に様子を窺わせてはいたものの、自分の目で確認したいとは考えていた。空き時間ができた時にナルトを思い浮かべたのは当然だった。
 つまり最初はカカシも冷静でいたのだ。
 遠目に病院のベッドを見ても、小さな身体に大人用の布団は重そうだとは思ったがその程度だった。
 ところが、いざ足音を忍ばせ、実際にナルトの顔を覗き込めば、自分でも驚くほどの動揺がある。
 多分ナルトは発熱していたのではないかと思うのだ。
 は、ふ、と不安定な息遣い──
 汗で湿ったために、頭の怪我を覆う包帯に血が融け出していた。包帯がそうであるなら枕にもシーツにも血は染みる。赤黒いものがあちこち擦りついた布に身を沈め、ナルトは一人うなされながら眠っていたのだった。
 カカシはもちろんすぐさま忍医を呼ぶことを考えた。
 しかし一瞬早く、苦しげに寝返りをうったナルトの瞼が震える──睫毛に水気が滲む。
 それはカカシを木偶人形さながらに硬直させた。
 涙の雫は見る間に育ち切り、こめかみへと儚く消える。流れた先は血で汚れた包帯があって、その奥は未だ癒えぬ傷があるのだろうに。
 塩は、傷に染みる。
 カカシはしばらく忍具しか扱っていない手でナルトのこめかみを拭った。涙の気配はもうわからない。ただ熱と皮膚のやわらかさが指先を焼く。
「……悪い夢でも見てるの?」
 いっそ起こせば良かったのかもしれない。目を覚ましたなら、ナルトは無理にも笑って見せただろう。
 しかしカカシは動かなかった。
 正しくは、動けなかったのだけれども。

 翌日、正午前。任務の都合上、午後には里から移動を始めなければならないカカシは、茶通りを歩いていた。
 茶通りは飲食店が軒を連ねている通りである。昼は茶店が、夕方からは居酒屋が賑わうので、一日中人通りも多いし、客引きの声も激しい。
 本来カカシは人混みも喧騒も得意ではない。にも関わらず、貴重な睡眠時間を削ってなぜ茶通りにいるのかと言うと、一つ向こうの道に木ノ葉病院があるからだった。
 ただし普通に病院へ行くなら茶通りを歩く必要はないわけで──要するに、ナルトが気になって任務前に来たものの、会うべきか会わぬべきか迷い、時間を無為に費やしているのだ。
 会う理由ならいくらでもある。
 サスケが抜けたせいで班こそ機能しなくなったが、カカシがナルトの担当上忍であることに代わりはない。里の状況を話しに行くでも良いし、ナルト自身の容態を尋ねるでも良い。自来也から修行の相談も受けている、今後の予定を話題にしても良かった。
 しかし足は茶通りを辿るばかり。カカシの脳裏に浮かぶのは、昨夜眠ったまま涙を零したナルトである。
 カカシはナルトが寂しがっていることを知っていた。
 それこそ三代目火影から幼い時分の話も聞いているし、カカシ自身がいくらか見知っていることもある。ナルトはずっと孤独で、孤独なまま下忍になり、初めて得た仲間を殊更大切にした。
 だが、ひるがえって仲間から大切にされていたかと言うと、決してそうではなかった。サスケとサクラに明確な意識があったかは定かではない。そもそも十二やそこらの子供が他人を尊ぶ方が珍しいのだ。
 しかも、相手はナルトである。
 実はカカシには七班をまとめるに当たって重要な判断を誤った自覚があった。
 ナルトには秘密がある。九尾を腹に封じられているということ、だから里の大人から冷遇を受けるのだということ。いくら三代目火影の名の下に緘口令が出されていようと、仲間になるなら、カカシは機を見てサスケとサクラに九尾の話をすべきだった。
 秘密の共有は結束を強くする、逆に隠匿は溝をこしらえる。
 サスケとサクラはナルトにただならぬものを感じていたはずだ。もし二人がナルトの内に封じられているものの存在を知っていたら、良きにしろ悪きにしろ、二人のナルトを見る目は変わっていただろう。少なくともサスケは、ナルトの笑顔に己にはない逞しさを見出したに違いない。
 ナルトは肝心なところで一人だった。カカシはそれを知っていたのに。
 ふと、混雑の中に湿った匂いを感じる。
 空を見上げ、雲の動きを追った。今は晴れている。だがそう間を置かぬうちに一雨来る空模様だ。
 暢気に構えているとずぶ濡れになる。カカシは雨宿りできる屋根を探して視線を巡らせた。
 陳列棚の菓子に目がとまったのはその時だった。
 カラフルな飴が、サイコロ状の愛嬌あるガラス瓶の中に詰まっている。
 ナルトがくれたモミジのべっこう飴を思い出した。
 カカシは店先に歩み寄り、しげしげと飴入りの小瓶を眺める。
 ──ナルトに。
 会いたい、と思う。多分これを手渡したら嬉しそうにする、そういう顔が見たい。
 もうすぐ雨が降る、屋根なら木ノ葉病院にもあるではないか。会いに行く理由も、天候の必然もある。土産を買えば口実もできる。
 カカシは偶然に押されるまま手を伸ばす。
「……カカシ先生?」
 そのタイミングでの呼び声は全く予想しなかった。態度には出なかったらしいが、近年ないほど驚いた。
「何してるんですか、こんなところで」
 横に並び立ったのはサクラだ。カカシが手に取るはずだった飴入りの瓶を取り、不思議そうにする。
「甘いもの好きでしたっけ?」
「……いや」
「好きじゃないのに見てたんですか? 先生みたいに、いかにも忍ですって格好の人が店先にいると、他のお客さんに迷惑だと思うんですけど」
 カカシは苦笑う。確かにこちらを気にしているらしい女主人の気配がある。
「サクラ、飴は好き?」
「嫌いじゃないですけど……?」
 カカシは小瓶を二つ抱え奥へ声をかけた。女主人はいそいそと顔を出し、代金を受け取り手早く包装する。
 紙袋は二つにしてもらった。
「はい。友達と食べな」
 片方の袋をサクラに渡す。
「ありがとうございます。私の分まで良かったんですか? なんか催促しちゃったみたい」
「ま、たまにはね」
 サクラは子供の顔で笑い、それから表情を改めカカシを仰ぎ見た。いくらか緊張の潜む瞳だった。
「先生とここで会えて良かった。いのから上忍はみんな凄く忙しくしてるって聞いたから、先生ともしばらく会えないと思ってたんです。相談したいことがあるんですけど、時間大丈夫ですか?」
 自由になる時間はもう少しある。カカシはうなずき、手近に屋根のある場所を探した。
「ひとまず移動しよっか。もう少しで雨が降る」
「……本当だ、雲が早い」
 通り雨だろうけど、カカシが付け足すと、でもきっと激しく降りますよ、サクラも言う。空を読むことにも慣れてきたらしい、カカシは彼女の予測をひそかに喜んだ。

 隣接する屋根が互いに張り出した小路に入る。
 一滴目の雨粒が落ちたのはすぐだった。間を置かず大降りになった空に、通りでは、傘を持たぬ人々が駆け足で近くの軒下を目指した。
 狭い小路の中で、カカシとサクラはしばらく表の混雑を見守っていた。次第に人も絶え、喧騒もなくなり、辺りは雨音ばかりになる。
「……私、大した取り柄のないくノ一なんだって」
 カカシは無言のまま振り返った。
 サクラはうつむいていた。細い肩口で明るい色目の髪が揺れる。
「前に先生の命令でシカマルと一緒にサスケくんを追ったでしょ、その時にシカマルが言ったの。中忍試験でうちの班、サスケくんもナルトも凄かったし、私全然追いつけなくって悔しかった。でも二人が凄すぎるんだから、女の子の私が追いつけなくても当然だと思ったの。シカマルにも大した取り柄のないくノ一って言われて腹が立ったけど、やっぱり言い返さなかった。本当にそうだもの私」
「サクラ」
 名を呼ぶことで遮ると、サクラは顔を上げ、慌てて首を振った。
「違うの、先生が心配してるようなことじゃない。私は大した取り柄のない自分が嫌い、だから強くなりたいと思って」
 先生──、彼女は真っ直ぐにカカシを見上げた。
「私、綱手さまに医療忍術を教えてもらえるよう頼むつもりです。私には力もないし、スタミナもない。でもチャクラコントロールなら、サスケくんにだって負けなかった。医療忍術ってチャクラコントロールが一番大切だって聞きました、だったら私にだってできるかもしれない──ううん、できるよう修行する。私、今度こそ一緒に戦いたいんです。力がなくてスタミナもないけど、今度こそ、ナルトだけあんなにボロボロにさせたりしない……!」
 たちまち涙を溜めた瞳は、しかし彼女の決意の固さを物語るように瞠られたままだった。
 カカシは溜め息をつき、少女の頭を撫でてやる。
「……そうだな、医療忍術は確かにお前向きかもしれない。大丈夫、サクラには取り柄がたくさんある」
「そんなこと言うのは先生だけよ?」
「綱手さまに師事できれば綱手さまもきっと言うよ」
 サクラは今更のように照れ笑った。
「ありがと、先生。それと、ごめんなさい! せっかく先生が教えてくれるのに」
「気にしなーい。オレは薬草や天候の知識ならあるけど医療忍術はムリだしねぇ。元々が人に教えられるようなガラでもないんだよ」
「あ! じゃあ、やっぱりカカシ先生が下忍指導したのって、私たちが初めて?」
 カカシはただ笑った。恐らく最初で最後になるとは言わなかった。
「師匠なら何人いてもいいでしょ。しっかり人生経験しておいで。困ったことがあったら相談しな、オレで何とかなるなら手を貸すから」
「ありがとうございます」
「ん」
 雨音も弱まったようだ。そろそろ正午も回ったはずだった。カカシは残りの自由時間を計算する。 早々と気を逸らしたこちらにサクラは苦笑し、
「でもね、先生」
 慎重に言葉を重ね、言いづらそうに目を伏せた。
「私よりも……ううん、誰よりも、それ、ナルトに言ってあげて」
 カカシは意表を突かれた。
「サスケくんが里を抜けて……ナルトが傷だらけで帰って来て……本当に大怪我だったのに、あいつ、それでもまだサスケくんを連れ戻すって言ってくれた。私は何もしなかったのに。それでもそんな私との約束守るって言ってくれるの……。私、本当に全然わかってなかった。口先だけで仲間だって言って、あいつのことなんか何にも考えてなかった……私は凄く馬鹿だった。私は……サスケくんと私のためにボロボロになったナルトを見て、それで初めて仲間ってこういうことなんだってわかったの」
 サクラは途中から声が震え出すのに、すん、と、鼻を鳴らす。
「ねぇ、先生。もしかしたらね、サスケくんもそうだったかもしれない……あんなにボロボロになったナルトを見て、サスケくんが何も思わないはずがない。きっと、仲間ってこうなんだって思ったんじゃないかなぁ? 大蛇丸は確かに凄いし、音の里にもいろんな忍がいると思う……でも。でもね、たとえこれからサスケくんに新しい仲間ができても、サスケくんは、ナルトにしたみたいな信用の仕方は、もう誰が相手でもしないと思う」
 そこまで言うと、彼女は泣き笑うような表情でカカシを仰いだ。
「私……次はちゃんと仲間になる。次はちゃんと一緒に戦う、戦ってボロボロになってもいい、ちゃんと……ナルトが笑う時は一緒に笑って、ナルトが泣く時は一緒に泣ける仲間になるから」
 だから先生──サクラは、頭を下げてまで言い募った。
「今のナルトを何とかしてあげて。あいつ、帰って来てからずっと笑うの、全然笑ってない顔でずっと……。サスケくんのことは私だって凄く落ち込んでるし、私でもこうなんだから、ナルトはもっと落ち込んでるはずなのに。ナルト、無理に笑って誰にも弱音吐かないの……」
「サクラ」
「先生、お願い。私じゃダメなの」
 カカシは無防備に晒された後頭部を見ていられず、いつもより手荒に髪を掻き混ぜる。
「参ったねぇ……サクラにまで口実もらっちゃった」
「え?」
 ぐしゃぐしゃになった髪を押さえる彼女に、もう一方の飴入り紙袋を見せてやる。
「これ二つ買ったでしょ。こっちは誰のもんだと思う?」
 あ!、と、表情を明るくする彼女。  カカシは苦笑った。
「迷ってたんだけどね、やっぱり放っておけないし」
「迷ってって、どうして?」
「んー……顔見たら謝っちゃいそうだからねぇ。そういうの、ナルトは逆に気遣いそうだし」
「先生、ナルトに謝るようなことしたの?」
「あー……いや、うーん……」
 言いよどんだカカシに、サクラも思うところがあったらしい。下から窺い見るような視線を向けた。
「先生が何かしたんじゃないなら……サスケくん?」
「いやいや。ま、気にするな」
「……カカシ先生、何か私に隠してませんか」
「隠してません」
「嘘!」
「どうして嘘つくのよ」
「だって! じゃあどうして先生がナルトに謝るのよ!」
 カカシはあさってを向き頭を掻く。
 いくらサクラにだって、まさかサスケに千鳥教えて後悔してますとは告白できない。それに、カカシが迷っていた本来の理由は、人に相談したいものではなかった。
「先生ってば! 聞いてる?」
「んー……」
 いつの間にか雨がやんでいる。
 カカシは焦れるサクラを越え、小路から抜け出した。
「もうっ、先生!」
 外へ出るとずいぶん明るかった。
 雨で洗われた屋根や看板、地面の水溜り、茶通り全体がぴかぴかと輝いているようだ。雲の切れ間からは眩いばかりの青が見え──そして光の向こうには、七色の。
「先生っていっつもそう! 都合が悪くなると──」
 サクラも気付くや否や怒るのをやめた。道を行く人々も歓声を上げ空に見入る。
 まだ雨雲の残る蒼穹に、淡い色合いの小さな虹が架かっていた。
「……ナルトも見てるかなぁ?」
 サクラが呟く。カカシは彼女らしい屈託のなさにほっとした。
「サクラがナルトの仲間で良かったよ」
「えっ……」
「ちゃんと仲間だよ、お前たちは」
 繰り返せば、ひどく嬉しそうに頬を染めた。
「カカシ先生が言うんならきっとそうね!」
 それからサクラはもう一度だけナルトを頼むと言い重ね、火影岩の方向へと駆け出す。
 あちらには代々火影に受け継がれる邸宅がある。彼女が早速弟子入りを頼みに行ったのだと思うと、カカシも動き出さなければならない気分になった。
 残った時間も少ない。明日にはまたどんな任務が入るかも知れないのだ──必ず無事に帰って来る保証もない。
 虹はもう消えていた。
 カカシは今までが嘘のような素早さで茶通りの建物を駆け上がる。
 会うと決めると一刻も早く会いたくなってしまった。そもそも通り一本分の隔たりだ、建物を飛び越えれば目の前が木ノ葉病院である。

 逸る気持ちを抑え正面玄関に下り立った。
 直接窓に向かわなかったのは、最後の悪あがきだったかもしれない。
 カカシはナルトが寂しがっていることを知っていた。言葉だけでも「傍にいる」と言ってやれば喜ぶだろうことも知っていた。それをしなかったのは、カカシではすぐに嘘になってしまうとも知っていたからである。
 誰かを思うことも思われることも、正直なところ、恐ろしい。
 これまでの人生で物も人もことごとく失った。残るのは己の身一つ。そしてこの身の脆さも、カカシは良く知っている、人の身体は肉も骨も呆れるほど脆いのだ。
 それでも──呆れるほど脆くても、祈りは尽きない。
 たとえば昨日見た涙の一粒を。
 その時だけでも隣に立つなら、傷に染みる前にこの手で拭ってやることができる。

 受付窓口を横切り、三階を目指す。
 昨夜ナルトの病室へ向かった道順をなぞりながら、今日は元気な顔でいてほしいと心から願う。
 しかし、辿り着いた先にナルトはいなかった。
 空の病室をぼうっと見回し、カカシは盛大な溜め息をつく。
 決着のついた迷いが再び頭をもたげていた。
「やーっぱり。オレじゃ役不足かねぇ……?」
 正道に殉じた師匠の背中が思い浮かぶ。次いで、九尾監視の名目でカカシをナルトに縛った三代目火影のパイプをくわえた姿も。
 それぞれの立場でナルトの将来を案じた二人だ。どちらも潔い生き方をした人だった。
 そんな人たちの健やかであれという遺志である。肉体が滅びようと、思いは小さな偶然となって、ある日のナルトの不利を防いだりするのかもしれない。
 確かにカカシも自分に価値を見出せない。
 もう一度冷静になるべきか。
 そうしよう、そうするべきだ──カカシは心を殺し、飴の小瓶を取り出してベッド脇の台に置く。
 置いただけでは誰が何の目的でそうしたのかわからないだろうが、ナルトのことである、ほとんど警戒せず食べてしまうに違いなかった。
 ちょうど任務の時間だ。カカシは半ば逃げ出すように窓から外へ飛び出した。いくらか建物の壁を蹴って着地。足下の水溜りは飛沫ひとつ上げない。
 骨の髄まで忍の習慣が染み込んだ手足──いつも通りの自分。
「さて、行きますか」
 力の抜けた気合を一つ。ポケットに手を入れ、背を丸めてのんびり歩き出す。
 殺した心は息を忘れ、胸の奥深く、小さく小さく凝縮していつしか塵のように掻き消えてしまう──
 はずだった。
「せんせーーーっ!」
 突然響き渡る声。
 カカシはびくりと肩を揺らし、遥か三階の病室を仰ぎ見る。
 ナルトの声だった。間違えようがなかった。何だ何だと通りを行く人々まで上を向く。窓越しにナルトの姿はまだ見えない。
 隠れるべきか──隠れるべきだろう?
 だがカカシの足は根を張ったように動かなかった。その間も切実な声は降ってくる。
「カカシ先生だろっ、どこっ? どこいんのっ?」
 とうとう窓が開いた。カカシは結局一歩も動けないままだった。
 包帯だらけのナルトが窓から身を乗り出す。
 ついに目が合った。ずいぶん離れていたのに、その瞬間の瞳と瞳の邂逅は音さえ轟きそうなほど鮮やかだった。
 そしてナルトの表情は劇的だ。泣きそうな顔がふにゃりと崩れ安心しきった笑顔になる。
「カカシ先生!」
 そんな顔で名を呼ばれたら、いくら心を殺したところで何も感じずにいられるはずがないではないか。
 通り中の注目を集めていたが気にもならなかった。 飴入りの小瓶を掲げて、
「コレ、ありがとだってばよー!」
 騒ぐ子供に、手を振り返してやる。
「また来て! 絶対!」
 絶対なんて言葉で約束を交わすのはいつぶりか。
 カカシがうなずくのを嬉しそうに眺め、ナルトは元気に両手を振り回してバイバイと笑った。
 あれほど根深くあった迷いが吹き飛んでしまった。たとえ偶然や必然に阻まれようと、カカシがここにいる理由などナルトの笑顔一つで足りる。
 後になれば苦い未来も見えてしまうのだろうけれど、今はとにかく、珍しくこらえきれない喜びで口元がほころぶのを許してやろう。
 カカシは、注目の的になった場所から軽く地を蹴り宙に紛れた。
 きっと次に会った時には傍にいると伝えることもできる。
 すぐに破れる約束にはしない。
 できる限りの努力はするから。

 どうかあのこがこれ以上泣きませんように。