スラッシャー9

04 高崎 すみれ (たかさき すみれ)

「またいない」
 これで朝昼と二連敗だった。三年一組の教室に橋口夏美の姿はない。
 鉄巳はつまらなさげに言った。
「放課後に出直すしかないだろ」
「だよなー……」
 橋口夏美は華道部に籍を置く最後の三年生だ。周芳と同じく忠達に頼まれ籍だけ華道部にあるのだが、万事におおらかな周芳と違い、彼女はうるさい。決して部に協力的でないにもかかわらず、ないがしろにされたと言っては怒り、頼れば頼ったで私は関係ないと言い張る人物である。
 彼女は先輩後輩にもこだわりそうだったから、できるだけ先に話をしておこうと思ったのだが。
「仕方ない。時間も惜しいし、すみれ先輩んとこ行くか」
 すみれの名を聞いた途端、鉄巳の眉間に皺が寄った。
「すみれ先輩に会うのも久しぶりだよなぁ」
「……まぁな」
 高崎すみれは唯一の二年生部員である。それも純粋に生け花が目的で入部したという、現華道部にあっては大変珍しい部員だ。
 聞くところによると、すみれは、顧問の岸本(日本史担当教員)に誘われて入部を果たしたらしい。
 元々岸本の母が生け花教室を開いていて、すみれはそこの門下生なのだそうだ。現華道部の「仲良くお茶でも飲みましょう」体制に不満はない様子だったが、たまに華道部らしいことを始めてみれば真っ先に動くのは彼女だった。
 万丈が彼女に対して思うことは少ない。
 しかし鉄巳は苦手としていた。実はハナブサも彼女を苦手だった。すみれは細面でウェーブのかかった長い髪が清楚な、お嬢様的雰囲気を持つ人物だが、性格はさばさばとしていて良く笑う。万丈から見ると、大変取っ付きやすい人柄である。
 それでも鉄巳の眉間には依然として皺が寄っている。
「さ、昼休みが終わる前に行くぞー」
 万丈が声をかけると本当に渋々うなずいた。

 二年生の教室が並ぶ廊下は騒々しい。
 携帯電話や携帯ゲーム機器、小型モバイルがあちこちで活躍しているのが音でわかる状態だ。見つかれば没収されるものなのだが、同じ学校に二年いるうちに過ごし方も巧みになるらしく、皆おおっぴらに遊んでいる。
 廊下にいた一人にすみれを呼んでもらった。
 間もなく教室から現れたすみれは、万丈と鉄巳を見るや嬉しそうに顔をほころばせた。
「久しぶり。元気そうじゃない」
 軽く握った拳が万丈の胸元を突く。まるで男友達のような仕草だが、すみれがやると感触がやさしくてくすぐったい。
「ずっと顔出さなくってすみませんでした」
「ほんとよ? 事情が事情だっただけに部長も強く言わなかったみたいだけど、心配したんだからね」
「はい」
 すみれは鉄巳にも目を向ける。
「門倉くんも久しぶり。あんまり喋らないのも相変わらずみたいね」
「……はぁ。まぁ」
 鉄巳の歯切れは悪い。待ってもそれ以上会話が発展しないので、万丈は早速例の計画書を取り出した。
 今朝職員室で人数分コピーしてきた。万丈と忠達の名が入れ替わった計画書である。欄外には、周芳からの提案もまとめてある。
 すみれは目を通してすぐ合点のいった顔になった。
「── ああ、結局これをやるのね?」
「部長から聞いてますか?」
「ええ。松風さんが企画したんだって」
 松風はハナブサの名字である。すみれは誰のことも折り目正しく名字で呼ぶ。
「ええっと……スラッシャー9……? これ、もしかして本多先輩が?」
「そうっス。おもしろそうでしょ?」
「んー……、おもしろそう、だといいな」
 文化祭だしね、と、彼女は苦笑う。
 ちょうどその時、教室から出て行こうとする集団があって、出入り口で立ち話をしていた万丈たちは廊下側へ場所を移した。すると廊下は廊下でいつの間にやらフットサルの真似事が行われている。三人は結局階段の踊り場に落ち着いた。
 すみれが改めて計画書を広げる。
 今日は一まとめにされていない彼女の髪が手元までを隠して、万丈は邪魔にならないのかなぁなどとぼんやり考えていた。
「……文化祭は文化祭として」
 彼女は顔を伏せたまま口火を切った。
「北川くん、これからは毎週部会に出る?」
「え?」
「実はずっと訊きたかったの。一年生部員は全員松風さんが連れてきたから、松風さんがいなくなったら退部する人が出てもおかしくないでしょ」
 万丈は思わず隣の鉄巳と視線を合わせていた。
 すみれが下を向いていて良かった。本当はそんなことも考えなかったわけではない。もし忠達が強引に二人を捕まえてくれなければ、いつかはそうなったはずだった。
 華道部には小さいながらも部室が割り当てられている。華道用の小物が幅をきかせていてどうにも窮屈な部室であるが、空いたスペースには人数分の椅子が押し込まれていた。
 あの椅子のひとつが無用になった。万丈は、窮屈なはずの部室に一人分の空間ができるのを見たくなかった。
「……これからはちゃんと出てくる?」
 すみれは重ねて尋ねる。鉄巳も目だけでどうするんだと訊いてくる。
 万丈は気まずく頭を掻いた。
「……出るつもり、です」
 すみれがぱっと顔を上げた。
「良かった! 北川くんが出るなら門倉くんも出るわよね?」
 はぁとかまぁとか言いながら、結局うなずいた鉄巳に、すみれはますます喜ぶのだ。その喜びようを見ると万丈の方が申し訳なくなってしまった。
「あー……心配かけて、」
「ほんっと心配してたのよー! 来年私が部長だし、部員が三人以下になったら華道部つぶれちゃう!」
 てっきり二人を心配してくれたのだと思ったから、彼女の言いようには力が抜けてしまった。
「今度の文化祭の話もね、先に部長から内容聞いて困っちゃって ── ほら、私、グリーンじゃない? せっかくの花なのに緑がテーマって葉っぱじゃないのよどうなのよって。岸本先生のコネがあるから、多少珍しい品種も取り寄せきくかもしれないけど、やっぱり誰かと相談したいと思ったのね。だけどいつまで待っても部会には部長しか出てこないし、橋口先輩と本多先輩は花なんかどうでも良さそうだし、近藤さんに至っては……」
 そこまで一気に話したすみれが言いよどんだ。
 近藤志摩子、自称ハナブサの彼女。
 万丈はクラスが違うせいもあって、ハナブサがいなくなって以来全く顔を合わせていない。というか、志摩子を見かければ逃げていたし、多分向こうも同じようなことをして万丈を避けているのだと思う。
「……志摩子、どうしてます?」
「私が話しかけても答えてくれなかった」
「そうっスか……」
「あの子こそ退部しちゃうかも」
 ありえる話だと万丈も思う。それくらい志摩子はハナブサにべったりだった。
「この計画書、近藤さんにも持っていく?」
「もちろん。……気は重いけど」
「参加してくれるといいわね」
「頑張ってきます」
「門倉くんも?」
「……まぁ。一応」
 すみれは笑ってうなずいた。
「私で手伝えることがあったら声かけて。次の部会の時には岸本先生とも相談して ──」
 言いかけていた彼女の目が唐突に脇へ向いた。
 そして、聞き知った声はそちらから。
「おー、ちょうど良いところに」
 のんびりとした口調。
 万丈が振り返るまでもなく、坊主頭の周芳が隣に並んで、話し込んでいた三人を見回した。
「すみれさんも一緒? 文化祭の企画は聞いた?」
「はい。正義の味方になるんですよね」
「うん。そのことでね、ちょっと万丈くんを呼びに来たんだよ」
「俺ですか?」
 万丈が向き直ると、周芳は嬉しそうに目を細めた。
「草野球同好会のメンバーに演劇部のやつがいてね。文化祭のこと話したら、部室のどこかに変身スーツみたいなものがあったって言い出したんだ。当日仮装する気があるんなら……まぁ、まだ誰の了解ももらってないだろうけど、決まってから慌てて探すより、今のうちに伝手だけ作るのもいいかと思って。演劇部の部長に会わないかって誘いに来たんだよ」
「え、会います! 会いますよ!」
 万丈は勢い良く返事をし、しかし話が途中だったことを思い出してすみれを振り返る。
 すみれはあっさり手を振った。
「行ってらっしゃい。また部会で話しましょ」
「すみません!」
「ううん。でも最後にひとつだけ聞いてって」
「あ ── はい、何ですか?」
 すみれがあんまり普通に言ったから、万丈は全く無防備にそれを聞いた。
「私、松風さんのこと好きじゃなかった」
 頭が真っ白になった。
 驚きでぽかんと口を開けた万丈にかまうことなく、彼女はあけすけな告白をする。
「ちょっと羨ましかったのよね。美人だったし、好きな人ばかりで周り固めてる感じで、それ以外寄せ付けなくって、みんなも納得しちゃってて。だけど今思うと、松風さん本人が嫌だったんじゃなくって、松風さんを羨ましいと思う自分が嫌だったんだわ」
 すみれは悪びれず笑った。
「そんなわけで、私にとっての文化祭の成功は、松風さんへの罪滅ぼしなの。衣装借りられるんなら私も着る。演劇部との交渉、しっかりよろしく」
 うなずく以外何ができただろう。
 呆気にとられたままの万丈の肩を周芳が押した。
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
 すみれは最後まで笑顔だった。

 彼女と別れ、三年生の教室に来る頃、周芳がこっそり教えてくれたことがある。
「すみれさんはねぇ、親を二人いっぺんに事故で亡くしてるんだよ。だから、君のことも志摩ちゃんのことも人事じゃないみたいに心配してた」
 万丈は再び驚かされた。
 思わぬことだらけで飽和状態のこちらを知ってか知らずか、周芳は特に答えを求めるでもなく、それにしても、と口調を変えた。
「鉄巳くんは、良かったのかな」
「……えっ?」
「すみれさんに捕まってたけど」
「え!」
 振り返ってももう遅い。
 鉄巳の姿はどこにもなく、万丈は今更ながらにいつも一緒にいる幼馴染の困りきった表情を思った。
「うわぁ……、あいつ、すみれ先輩苦手なのに」
「いろいろシビアだもんねぇ、彼女は」
「そう……なんですね……」
「そうなんですよ。来年は彼女が部長だしねぇ、きっと万丈くんたち忙しくなるよ」
 うわぁ……。
 さすがに万丈も頬が引きつった。