08 岸本 夕子 (きしもと ゆうこ)
「……何だか地味ね」
そんな橋口夏美の一言が議論の幕開けになった。
それぞれの思いを胸に、それでも全員が窮屈な部室で額を突き合わせ、文化祭の企画について確認を取っていたところだった。
土曜日の午後である。
弁当やらパンやらペットボトルやらで机をいっぱいにしつつ、皆の中心で忠達が企画書を読み上げたまでは本当に平和に進んでいた。
欠席するんじゃないかと危ぶまれていた志摩子も無事に顔を見せ(相変わらず誰ともすすんで会話しようとはしなかったが)、草野球同好会の招集日だったはずの周芳もジャージ姿で登場し、受験が近い夏美は参考書片手の参加ではあったものの ──
事前の根回しは完璧だ。
顧問の岸本を含め八色のブーケを作る。ヒーローの扮装をした人間は展示の宣伝をして回る。
会合は極スマートに終決するはずだった。
ところが橋口夏美の一言である。
「地味ね」
「地味……ですか」
万丈の「どうして今更」光線も、話をしながら目は参考書にある夏美には届かない。
「地味だと思うけど。だって仮装までするのに宣伝だけなんでしょ? ああ、でも別に悪いとは言ってないわ、気にしないで」
夏美は言って、あとは知らん顔だ。
何となく全員が沈黙し、参考書のページをくる音が大きく響く。
沈黙を破ったのは周芳だった。
「確かに地味かなぁ……やっぱり寸劇みたいなのもやりたいなぁ」
「冗談じゃないわ」
即座に切って捨てたのは志摩子。続いて、すみれの言葉である。
「私も寸劇はちょっと嫌よ。でも今のままが地味って言うのはそうだと思う。仮装のことだけじゃなく、展示物の方も。同じようなブーケが並んでるだけだと見る人が飽きちゃうだろうし」
すみれの意見を引き継ぐ形で忠達もこう言う。
「そう言えば場所が決まったぞ。職員室前の展示スペース一帯の装飾が華道部の担当になった。幸か不幸か外来客も通る場所だ。仮装は良いが、あまり派手なことには許可が下りんかもしれん」
そして再びの沈黙。
万丈はとうとううなだれた。
「……つまり、皆さん、企画に不満があると」
個々に会いに行った時には一言もそんなこと言わなかったじゃないか、と、ごねてはいけないのだろうか。
更に志摩子までもが言う。
「大体ゴールドは誰が担当するの? ハナちゃん抜きの企画なら、あたし参加したくない」
それについては万丈にも考えがあった。
顔を上げると志摩子と真っ直ぐに目が合う。志摩子は即座に顔を背けたが、その仕草には先日ほどの感情の揺れは感じられない。
万丈は内心でほっとして口を開く。
「ゴールドについては俺に心当たりがあります。ハナブサはでっかい金ピカのオルゴールを持ってました、ピアノの形をしていて、蓋を開くと小物入れになるやつで、ハナブサ自身が、この計画を考えていた時に、オルゴールの中に花を詰めて真ん中に置きたいって話をしてました」
すみれが興味をそそられた顔になった。
「へぇ……それでゴールドなんて色を。どう考えても金色の花なんてないし、塗装するのかと思ってたけど、松風さんはそういう考えだったのね。でも、それは貸してもらえるものなの?」
「大丈夫っス! おばさんに確認してきました」
小中高と全学年同じクラスだったというのは伊達じゃない。ハナブサの母親には鉄巳共々かわいがってもらっている万丈だった。ハナブサが考えた企画を文化祭でやりたいと言ったら、快く持ち出しを許可してくれた。
「ハナブサは花を詰めるって言ってたけど、俺はそこにハナブサが使ってた小物を入れてもいいと思う。もしそうするなら小物はおばさんが選んでくれるそうだし……オルゴールと一緒に写真飾れば、ちゃんとハナブサに関係するものだって主張できると思う」
「写真、うちでプリントアウトしてきました」
万丈の意見を後押しする形で、鉄巳が二〇枚程度を縮小印刷したものを隣に回す。
どれも一学期中に華道部で撮った写真だった。当然ハナブサが中心にいる。
「うわ、懐かしいねぇ……!」
見るやいなや、周芳がくしゃりと笑った。忠達も身を乗り出して覗き込み、何度もうなずく。
一学期の写真担当は鉄巳だった。元を辿れば、鉄巳がデジカメを持っていたから、万丈と二人でお楽しみ係なんてものに任命されたのだった。
「拡大も縮小もいけます、うちで出力するから紙も選べる」
鉄巳が解説するのに、誰が呟いたか。
「じゃあ写真立てがいる……」
刹那、弾かれたように椅子を蹴飛ばし、すみれが立ち上がる。
「ねぇ、みんなでリース作る? 写真真ん中に飾れるような色とりどりのリース!」
万丈も鉄巳もその他も、あんまり突然すみれのテンションが上がったのでびっくりしてしまった。
「私、ずっと考えてたの! だって部でやるものだからどうしても予算ってあるでしょ、そうすると珍しい花なんて選べないし、ブーケにしたってボリュームのあるものは作れない。値段の安い花は多く手に入っても、高い花は私たちのうち何人かで独占しちゃうことになる。でもリースだったら ── 写真を主役にするんなら尚更、大きな花も派手な花も必要ない!」
いいんじゃない?、冷静に返したのは夏美だった。
誰も彼もすみれの勢いにおののいていたというのに、夏美だけは依然として参考書に視線を向けたまま、醒めた声音で淡々と意見を述べた。
「写真のサイズも自由になるんならリースの大きさも選べるんだろうし。吹山で材料集めれば、いくらか費用も浮くかもしれないわね」
忠達が「吹山か……」と窓の外を見る。
それほど近くはないが、窓から見える距離に、緑に覆われた小さな丘陵があった。地元では吹山と呼んでいる。この辺に生まれ育った子供なら、必ず一度は昆虫採集に出向く場所だ。
「今の時期なら、木の実のリースもおもしろいかも!」
すみれの目がますます輝く。
志摩子も文句はないようだった。
「よし ── じゃあ意見をまとめるぞ。今年の華道部の文化祭での展示作品は、」
忠達が話し出した時、ドアが開く音がした。
「みんな、集まってる?」
すぐに明るい声が聞こえる。積み重なった道具の向こうから顔を覗かせたのは、顧問教師である岸本夕子だ。
岸本夕子は朗らかな中年女性である。年齢は四十近くだが結婚歴はなく、事あるごとにお婿さんが欲しいわと呟いている。
聞くところによると、岸本の家は華道の家元で、行く行くは岸本が名を継ぐことになっているらしい。岸本本人に結婚願望があっても、入り婿が前提条件になるので良い巡り合わせがないのだとか。
けれど教師としては人気のある女性だった。授業が面白いのだ。日本史を担当していて、教科書にある事柄ばかりでなく、その時代の裏話や豆知識も教えてくれる。
「どう? まとまりそう?」
岸本は忠達の会議メモをざっと見て、写真立てに見立てたリースを作る案が出ていることを知ると、ばっと表情を明るくした。
「良かった! 先生のも間違った方向じゃなかったみたい!」
彼女はいそいそと手持ちの袋から小さな丸籠を取り出すのだ。
丸籠と言っても、それはツルのような枝のようなものを編み込んで作られており、明らかに手作りの木訥さがうかがえる姿形をしている。
「先生の担当がシルバーだったでしょう? すみれがね、先生のくせに捻りもなく色染めした枝ばっかりの作品を作るんですかぁ?なんて憎たらしいこと言うから、ちょっと考えてみたの」
岸本は茶目っけたっぷりに言った。
「今日持ってきたのは小さく作ってあるんだけど、文化祭の時にはもっと大きなものを作って、銀色の塗装をするの。何を生けるかはこれから考えるけど、銀色の観葉植物っぽくしたいのよね」
「華やかですね……!」
すみれがうっとりと溜め息をつく。
万丈には口で説明されてもイメージが湧かないが、すみれは普段から花に触れているぶん想像もつきやすいのだろう。
岸本は更に続ける。
「それで、大土井くんから展示場所のことはもう聞いた? わりと装飾しやすい場所になったし、せっかくみんなの作品も色とりどりになるんだから、壁一面に暗幕をかけようと思うの。背景が黒だと華やかな花はより引き立つし、私の作品のシルバーの塗装も安っぽくは見えない ── ね、どうかしら?」
もちろん誰からも反対はない。
岸本は早速手配してくれたと言う。文化祭当日は、視聴覚教室で映画を上映する予定もあって、早めに抑えておかないと暗幕もなくなってしまうらしい。
「二枚もあれば大丈夫だと思うのよね。今から取りに行くから、北川くん、ついて来てくれない?」
「あ ── はい」
ずいぶん唐突な話だとびっくりしていたら。
「もう一人、そうね、近藤さん。お願いできるかしら」
志摩子も驚いて岸本を見上げた。
雲行きが怪しい。実は岸本も部会の無断欠席を怒っていたりするのだろうか。
鉄巳が胡散臭げにこちらを見るのに、万丈は諦めの息をつく。
「そっち ── そっちの暗幕が色も良いみたい。その二枚にしましょ」
岸本に指示されるまま講堂の準備室から暗幕を引っ張り出した万丈は、まずそのうちの一枚を志摩子に渡すかどうかで悩んだ。
岸本は二人呼んだのだから、恐らく一枚ずつ持たせる計算をしたはずだが、畳んであるので二枚でもコンパクトだし重くもない。
……一人で持つか。
ところが万丈がそう決めた矢先、志摩子の細い腕が二枚共を奪った。
万丈は男だからそう重く感じなかったが、志摩子は女だ、力仕事には向かない。案の定、持った瞬間に彼女はよろめく。一瞬呆気にとられて見送ってしまった万丈は、焦って暗幕を取り上げようとした。
「お……俺が持っていくから!」
「いいわよ、重くないもの。それに、あんたに助けられたくない」
「助けるとか違うだろ! どっちが適任だってことで、この場合どう見ても俺だろ!」
「いいから返して!」
「うわ……っ、待てって、志摩子!」
意味のない争いだった。
二人で引っ張り合ううちに畳まれていた暗幕は広がり、ぐちゃぐちゃになり、最後は変な綱引きみたいになってしまう。
傍で見ている岸本は止めようともしない。ただのんびり笑ってこんなふうに言うのだ。
「あらあら。二人とも不器用ねぇ。松風さんがいなくなっても、そうやって均衡を崩さないでいるの?」
志摩子の手から突然力が抜けた。
踏ん張っていた万丈はつんのめって転びそうになった。
一方の志摩子は、もうこちらを見てもいない。怒りとも悲しみともつかない表情を岸本に向け、棒立ちになっている。
「松風さんも不器用だった……少し可哀想なくらい感受性が強くて、必要以上に人の裏側を見てしまっていた。でも、そういう彼女がうちの部を居心地が良いと感じてくれていたことが私は嬉しかったわ」
岸本は言って、志摩子を見つめた。
「あなたが松風さんと仲が良かったのは、松風さんと共感するところが多かったからでしょ。松風さんが選んだ場所ならあなたにも風通しが良いはずよ。あなたはこのまま居場所を失ってしまっても大丈夫?」
万丈には、その言葉で志摩子が息を飲んだように見えた。
岸本の視線が万丈に流れる。
大人でもあり教師でもある彼女の意図を読むのは難しいことだったが、何となく……そう言えと頼まれている気がした。
「……退部の取り消し、まだ間に合うぞ」
途端に志摩子がもの凄い形相で万丈を振り返る。つかつかと歩み寄り、大きく右手を振り上げる。
万丈は避けなかった。
パン!と強い音が耳の上で鳴る。実際に痛みを受けたのは万丈だったが、志摩子の方こそが屈辱を受けたように唇を震わせた。
志摩子は間を置かず走り去り ── そして岸本がささやかな喝采を万丈に向ける。
「ありがと。いい男ね、北川くん」
「そっスか。俺はダサかったと思います」
「とんでもない! さすが松風さんが選んだ男の子!」
「ありがとうございます、でもほっぺ痛いです」
岸本が笑う。
彼女はすっかり放り出されていた暗幕を拾い上げ、万丈に手伝わせ、持ち運び可能な大きさにまとめていく。
「近藤さんも……そろそろ松風さん以外にも人がたくさんいるんだってことに気付いてくれるといいんだけど。文化祭が終わったら私、もう一度近藤さんと話してみるわ。このまま退部させるのはかわいそうだもの」
万丈は曖昧にうなずいて答えずにいた。
岸本はそう言うが、万丈は志摩子の激しさが羨ましい。ハナブサしか見えない志摩子は、本当にかわいそうなのだろうか。
そうして岸本と一緒に部室に戻ってみたら、こちらはこちらで白熱した議論の最中だった。さっきは参考書片手に丸きり他人事の顔だった夏美までもが立ち上がり、忠達が書き留める企画案を見つめている。
「いいところに帰ってきた! 北川くん、正義の味方の必殺技が決まったよ!」
「元々ハナちゃんのために花切るからスラッシャー9だったんだ、リースだけじゃなく、ハナちゃんに捧げる花も置かなきゃ話にならないよ」
すみれと周芳が声を弾ませ立て続けに言う。
一体何が二人を興奮させているのかわからず、万丈も忠達の手元を覗き込んだ。
花を配る、という文字が見えた。
「花を、配る……?」
忠達がうなずく。
「仮装したやつが何をするか決まっていなかっただろう? 花を配ることにした、当日は生徒だけじゃなく、保護者や他校の生徒も来る、とにかくすれ違う全員に花を配り、うちの展示物コーナーにその花を持ってきてもらおうと思っている。そして最終的に集まった花で、ハナブサに捧げる巨大な花束を作り上げる」
万丈の頭には献花という言葉が浮かんだ。
部員全員でハナブサに花を捧げようとは考えても、それ以外の人間も巻き込もうとは考えつかなかった。
良い案である気がした。しかし万丈が同意を口にするより早く、岸本が難色を示す。
「確かに良い思いつきだと思うけど、そんなにたくさんの花、予算じゃ買えないわ」
「それは大丈夫です!」
即座にすみれが胸を張る。その隣では、夏美が針金と花紙で作った小振りの造花をゆらゆらさせていた。
岸本は目を丸くした。いくらか呆れもあったのかもしれない。
「そういうことなら……でも数を揃えるには時間と根気が必要よ、本当に大丈夫?」
「今日から作れば平気です!」
言い切るすみれに、岸本もそれ以上言葉はない。
「どうかな? 万丈くんはどう思う?」
周芳が訊いてくる。鉄巳が無言のままこちらを向くのがわかった。
万丈はゆっくりと笑みを浮かべた。
「一人一〇〇本で七〇〇本。今日からやれば全然こなせる数っスよ」
すみれが飛び上がらんばかりに喜色満面する。
「部外の子でも手伝ってくれる子がいると思うの、きっともっとたくさん作れるはずよ!」
「ハナちゃんのファンは多かったしねぇ、俺と忠達もあちこちで声をかけてみる」
万丈も「俺もそうします!」と声を揃えた。
── 忙しくなってきた。
もう誰も感傷に浸ってばかりじゃいられない。