バース・リバース 晴れたら戦え

01
 兄弟で遠出をするのは久しぶりである。目的が軍の手伝いだったとしても、二人で汽車に乗る、ただそれだけで浮き立つような気持ちになる。
 エドにとっては本日二度目の乗車。一度目と同じ時間を過ごすはずが、往路と復路で全く感じる長さが違う。
 最初は、当たり前に、これから向かうシスタという村の地図を向かい合って見ていた。
 シスタは、イーストシティともう一つ手前の駅とのちょうど中間地点にある、あまり便利の良くない村だ。最初の話題も、イーストシティと手前とどちらで下車するか、そんなところから始まった気がする。しかし瞬く間に話は逸れ、気付くとエドは、知り合ったばかりの軍人たちのことを話題にしていた。
 エドが一週間前と今とで全く逆の印象を持ったことを知り、アルフォンスも東方司令部の面々には並々ならぬ興味を持ったらしい。
「会ってみたいなぁ」
 本当に待ち遠しそうに言うので紹介する時が楽しみになる。
「一週間だけだったけど、ほんとに悪いやつには会わなかった。もっと威張ってる軍人いっぱいいると思ってたんだけどな。あ、でも大佐はエラそうにしてたか」
「その大佐が一番いい人だったんでしょ?」
 エドは肩を竦めて答える。
「いい人っていうのは違う気がするけど。オレ、めちゃくちゃからかわれるんだぞ? 子供扱いじゃないけど、とにかく遊ばてる気がする。いい人って言うのは、ハボック少尉とかホークアイ中尉のことだ」
「じゃあマスタング大佐は?」
「大佐はー……」
 ロイのことを思い浮かべると、一週間分の記憶が頭を駆け巡った。
 彼のことを一言で説明するのは難しかった。やさしかったと言えばやさしかったし、誠実だったと言えば誠実だった、大人だと言えば大人で、子供っぽいと言えば子供っぽく、腹黒かったと言えば腹黒かった。大体、多少人が悪かった気がする。
「大佐は……」
 エドは思わず眉をひそめた。
「……ダメだ、良い言葉がない。とりあえず口が達者だ」
「兄さん、それって人柄じゃないよ?」
「だって思いつかないんだよ。言っとくが、オレは大佐をいいやつ悪いやつで区別するんなら、悪いやつだと思う」
「ええっ?」
「ただ、悪くても信用はできる相手だ。何か困ったことがあった時も甘えていい相手だと思う」
 アルフォンスがびっくりして身を引いた。
「甘えてもいい?」
「? 変か?」
「変って言うか……兄さんが誰かをそういうふうに言うの、初めて聞いた」
 言われてみればそんな気もする。エドは多少気恥ずかしくなって弟から目を逸らした。
「まぁあんまり遠慮しなくっていい相手だってことだ。甘えちゃいけない時ははっきり言うだろうし、甘えていい時は、向こうが強制的にそうさせそうなんだよ」
「……何だかますますわからなくなってきたよ」
「だからだなぁ」
 エドが改めて言葉を探そうとすると、彼は溜め息をついてそれを遮った。
「いいよ、わかった。大佐のことは兄さんには聞かない」
「え。やっぱ説明できてないか、オレ」
「説明とか何とかって言うより、根本的に違う」
「うん?」
「兄さんは大佐のことが好きなんだ」
 一瞬、頭が空っぽになった。
 エドは猛然と立ち上がる。
「違うぞ、アル! ちょっと待て!」
「違わない、絶対そうだヨ。兄さんの言い方だと、悪く言ってても本当に悪いようには聞こえないもん」
「違う!」
 エドは足を踏み鳴らして否定したが、自分の顔やら耳やらがじわと赤くなっていくのは、見て確認しなくてもわかった。ましてや相手はアルフォンスだ。エドの顔色など熟知していただろう。
「ふぅん。一週間前は、味方かどうかわからないって僕に言ったくせにさ」
「だから! 聞けよアル!」
「いいよ。僕は僕で考えるよ。多分いい人ではあるんだろうね、兄さんが信用した人だし」
 その言い方も恥ずかしい。
 元々エドには、ロイとのやり取り全てをアルフォンスに話していないという負い目がある。
 話せるわけがないではないか。一緒に風呂に入ったとか、同じベッドで眠ったとか、泣いているところを慰めてもらったとか。出来事だけ挙げていけばどこの恋人同志の話かと思う。
 エドにだって多少の自覚はあるのだ。たった一週間ではあったが、ロイとのやり取りは、何も知らない弟に笑い話として話すには濃密すぎた。
「大佐は軍人にしては話せる相手だって……本当にそれだけなんだからな!」
 さすがに自分で言っていて苦しい言い訳だとは思った。
 必死に弁明を図るエドの努力をよそに、アルフォンスは溜め息混じりで空返事を返すばかりだった。
 
 
 二人が汽車から降りたのは、イーストシティより一つ手前の駅だ。
 まず司令部に連絡を入れてるため、近くの駐在へ向かおうとしていた矢先のことだ。
 ある女性とすれ違った。
 彼女はこちらなど気にも留めずに行ってしまったが、エドは彼女を覚えていた。
 マリア・クロムウェル。
 以前に見た時と同じように、長い金髪を後ろで一つにまとめ、服装は灰色のパンツ・スーツ。女性にしては大きな歩幅で歩いていく。
 エドは知らず足を止め、彼女の行く先を確かめる。
 木立に囲まれた駅前の通りを真っ直ぐ突き切っていく。
 軍部で聞いた情報が正しければ、あちらはロナルド・シーマンの隠れ家があったシスタ村の方向ではないし、繁華街の方向でもなく、ましてやこの辺りの住宅地域でもない。
 彼女は出版社に勤めていると聞いた。もしかしたら出版社があちらにあるのかもしれない。
自分なりに考えを巡らせてはみるのだが、気になってならなかった。
「兄さん? 駐在ってあっちだよ?」
 アルフォンスが肩を叩く。エドは彼女の後姿を見つめたまま口を開いた。
「……今、すれ違った女。あれ、マリア・クロムウェルって言って、今度の事件の関係者なんだ」
「そんな人が……どうしてここに?」
「わかんねぇ」
 マリアは迷いなくどこかに向かっているように見えた。
 エドが決断するまでに時間はかからなかった。アルフォンスに視線で合図し、彼女のあとをついていく。いささか距離がひらいていたが、しばらく行くうちに追いつけるはずだった。
 ところが。
「……兄さん、ちょっと待って」
 ふとアルフォンスが声をひそめる。振り返ると、一声目よりも更に小さな声で「そのまま立ち止まって」と言われる。
 マリアはどんどん離れて行くが弟の様子にも無視できない緊張感があった。エドは万一よそから見られていても不自然には思われないよう、足元を直すふりでその場にうずくまる。
 エドとアルフォンスの二人は今、どちらも動いてはいなかった。
 しかしじっと待っていると、別にもう一組の足音があることに気付くのだ。
 地面にはいくらかの枯葉が落ちていて、時々風に吹かれてかさかさと乾いた音を立てていた。それに隠れるように葉を踏み潰す音がある。
 エドはできるかぎり長く時間を使ってズボンの裾を直し、靴を気にする振りを続けていた。足音は今や二人の真後ろまで迫ってきている。
 追いついてきたのは、若い男の二人連れだった。
 どちらも妙に静かに歩いていく。地味な服装に、一人は顔半分を隠すようなニット帽、一人は襟を立てて口元を覆っている。彼らは、立ち止まったままのエドとアルフォンスをさり気なく一瞥したが、それだけだった。ただ黙々と会話もなく歩く。
 上着の内には何か重そうなものを持っているらしかった。すれ違いざまに、足音に混じってかすかに金属性の音がしたのを聞いた。
 エドは手に汗が滲むのを感じた。アルフォンスも張り詰めた様子でこちらを向く。
 何だか嫌な気配があった。はっきりとした根拠があるわけではなかったが、男たちからは異様な緊張が伝わってきていた。
「……兄さん」
 アルフォンスが声をひそめて呼ぶ。
 エドは立ち上がり、男たちが真っ直ぐ行くのを確かめたあと、一番近くの脇道に身を滑らせた。
「……変だ!」
 手荷物から筆記具とメモ用紙を急いで取り出す。アルフォンスは建物の影から再び男たちを窺っていた。
「やっぱり……あの女の人と同じ方向に歩いてく。僕らとすれ違った時もちょっと変な雰囲気だったよね?」
 エドは軍部の電話番号を走り書きし、覚えたての緊急連絡用コードを書き加えた。それから、国家錬金術師の証である銀時計を取り出す。
「アル。近くの駐在に行って軍部に連絡取ってもらえ。大丈夫だとは思うけど、もし怪しまれるようだったら銀時計見せて協力させろ」
「兄さんは?」
「あと付けてみる」
「一人で平気? って言っても、僕が一緒にいると却って悪目立ちするのかな」
「悪目立ちって何だ」
 エドは妙な気兼ねをするアルフォンスの胸を拳で叩いて叱咤した。
「二人いればそれぞれの分担があって当然だろ。今は軍部に連絡取ることが第一なんだよ。そんでもって、身軽な奴が尾行には適任。とにかくお前は大佐に話せ。多分すぐに駆けつけてくれる。オレは――」
 手を打ち鳴らし、すかさず地面に再構築を呼びかける。手の下には、見る間に土くれのポールができた。
「目印はこれだ、曲がり角につけていく」
「わかった。応援が来たらすぐに探す」
「ああ。軍部の車なら一時間もかからないはずだ」
 無茶しないでよ、そういう声にうなずきながら早速元の通りに戻った。
 眼前にあるのは、両脇を木立に囲まれた大通りだ。マリアも男たちも既に視界から消えている。どこかの脇道へ逸れたらしい。
 すぐさまエドも足音を消して走り出した。背後では、アルフォンスの鎧靴が地を蹴り遠ざかっていく音も聞こえてくる。
 軍との連絡が終わるまで十数分、ロイが応援を即座に寄越してくれたとしても、一時間は必要だ。
一時間の間にエドにできることは多くない。ひとつはマリアの行く先を正確に把握すること。機会があるならもうひとつ、男たちの目的と正体を見抜くこと。
 幸い自分の身体は小回りが利く。足音さえ気をつけるなら、大人よりはずっと尾行に適した身体に違いない。
 あとは度胸と根気、少しの幸運。いざという時には錬金術を使えばいい。錬金術は魔法ではなかったが、未知の場所へ走り出す時にはいつでも勇気の源になった。
 最初のポールを作れば、またたくまに心も奮い立つ。
 
 
  いくらか駆け抜けた先の脇道で、ようやく男たちの後姿を発見する。ところどころに建物はあるが、どんどん人の居住地から離れていくようだ。
 マリアはまだ男たちに気付いてはいないのか。いっそのこと駆け寄って知らせるべきかとエドは思う。
 いや、本当はそうするべきなのかもしれない。
 しかしエドは迷っていた。これがチャンスに思えてならなかったからだ。マリアを付ける男たちが例のテロに関係しているように思えてならなかった。
 尾行されてはいるものの、マリアと男たちとの間には充分な距離もある。見る限り、今すぐ命の危険が彼女に訪れる状況ではない。
 エドはじりじりとする気持ちを殺しながら歩みを進める。すぐに飛び出すべきか、男たちの動向を見守るか。その間も心の葛藤はせわしない。
 今では通りのどこにも人の姿はなかった。脇には伸び放題の木々と一緒に、ガラスの割れた廃屋が並んでいる。どうやらこの辺りは一度村だったことがあるらしい。崩れた飲み屋の看板が転がっていたりした。
 と、先頭を行っていたマリアが立ち止まった。
 エドは慌てて近くの木に身を隠し、前方を窺う。男たちがマリアに近づいていくのが見えた。
 彼女がとうとう背後を振り向く。見えたのは、意外なほど冷静な表情だった。
 まるで付けられていたことなど最初から知っている様子だ。男二人に正面に立たれたあとも、彼女は敢然と顔を上げたまま、何事かを話している。
「……クソ、聞こえねぇ」
 エドは爪を噛んでその様子を見つめていた。
 マリアは挑むように笑う。その顔はどういう意味のものなのか。
 男たちはすぐにマリアの両脇に回り、彼女の腕を掴むと、周囲をいくらか気にしながら、廃屋の集まる一角に入って行った。
 遅れてエドも動き出す。
 途中で細かく道が折れるので、何度も何度も土のポールを錬成する。
 その小さな建物は、半壊した建物群の中に、ひっそりと紛れ込んでいた。
 外から見ればほとんど掘っ立て小屋に近い、車庫か厩舎のような外観だった。実際、人がいた時にはそんな使われ方をしていたのかもしれない。脇には葉の茂った木があって、小さな小屋の屋根を枝が覆っている。
 窓はひとつ。入り口もひとつ。どちらにも男が一人ずつ見張りとして立っている。
 マリアの姿は既にない。
 一度場所を確認したエドは、大きく道を迂回し、両方の見張りから死角になる、真逆の壁際に身を隠した。
 そうしてこっそりと板に耳を当ててみる。ただでさえ薄いベニヤ板は、更に月日を経ることで、継ぎ目に隙間を作るまでになっていた。屋内の話は簡単に聞こえてきたし、また目で見ることもできる。
 マリアは木箱の上に座らされていた。その前に立つ男が三人いる。見張りと合わせて計五人。
「……あんたが俺たち嗅ぎ回ってたことは知ってる。ロナルドの恋人だったってな?」
 すぐに耳に入った会話に、エドはどきりとした。
 マリアの表情は変わらない。暗い室内では顔色までは判断できないが、張り詰めた様子で唇を引き結んでいる。意志の強そうな横顔だった。
 対する男たちは険しい表情をしている。三人のうち、二人は既に手にライフルを握っていて、その銃口がマリアに向けられるのも時間の問題ではないかと思えた。
「わざわざ自分から俺たちの溜まり場に乗り込んだんだ、何か話があるんだろう? さっさと話したらどうだ」
 そう言ったのは、唯一銃を持っていない男だった。浅黒い肌の色をしていて、背が小さい。服は煤けており、靴も泥まみれで、あまり裕福な暮らしをしているようには見えなかった。
 しかし、どうやらこの小さな男が中心人物らしい。彼の傍らの、ライフルを持つ二人の様子でそれを悟ったエドは、男をじっと観察した。
 丸い鼻に大きな口、小さな目。顔のパーツだけ見るとまるでピエロの面に似ていた。だが目つきは嫌に卑屈だ。常にねめつけるように人を見る。
 そして男は今、マリアを見ていた。
 そのマリアはじっとうつむいたままだ。男がいらいらと言葉を続ける。
「奴の恋人だったんなら、奴が軍を憎んでいたことは知ってるんだろ? 俺たちは奴の計画通りに動いている。あんたには感謝されこそすれ、こんなふうに乗り込まれる義理はないと思うんだが」
「……違うわ」
 マリアが初めて声を出した。
「ロナルドがあんな計画立てるはずがない……」
 彼女は搾り出すように続けた。途端に小さな男が彼女に詰め寄る。彼は女の華奢な肩を乱暴に掴み、顎を上げさせた。
「どこにそんな保証がある? 奴は軍を憎んでいた、それを本という形にして公にもしてただろ? 奴は軍から隠れて生きる生活が嫌になったのさ。テロを起こして軍をぶっ潰そうと考えた」
「違うわ!」
 マリアが金切り声で否定した。
 エドは食い入るように彼らのやり取りを見ていた。
 やはり彼らは今現在テロを起こしているテロリストたちだったのだ。マリアは彼らのことを知っていた。しかし、今朝会ったロイの口ぶりでは、軍にこの男たちの情報はなかったようだ。
 つまり、彼女は軍を信じず、ここへ来たのも偶然と言うわけでもなく――先ほどの様子を考えれば、尾行を受けていたことすら承知の上でのことだったのかもしれない。誰の協力も請わぬまま、彼女は一人でテロリストたちに向き合う決心をした。
 無謀だ。状況を読んだエドはさすがに慌て始める。
 相手はもしかしたらロナルドを殺した相手である。マリアに危害が加わらない保証などない。
「ロナルドはやさしい人だった! 軍という仕組みを憎んではいたけれども、軍で働く人間まで嫌っていたわけじゃない! あんなふうに見境なく人を巻き込むようなテロを計画するはずがないわ!」
「そりゃあんたの幻想だろ。あいつは本当は破滅的な思想を持った男だったとは思わないのか」
「思わないわ! あの人はやさしい人だった、あんたたちはあの人を利用したのよ!」
 小さな男が卑屈に笑う。
「ふぅん。だったらどうだって言うんだい?」
「――利用したことを認めるの?」
「さぁな。あんたの命と引き換えになら、教えてやってもいいぜ?」
 ライフルが音もなくマリアに向いた。
 その時にはエドも動いていた。
 屋内には銃が二つ。見張りに立つ男たちも武器は持っているかもしれない。正面から突っ込むことは得策ではなかった。手っ取り早く、最も近くにあった木に錬金術を施す。
 錬成の光と共に、見る間に枝が細く変形した。根が地から盛り上がり、幹がぐんぐん成長を始める。
 最初に気配に気がついたのは、建物の窓を見張っていた男だった。
「う、うわぁ……っ?」
 男が悲鳴を上げ、戸口に立つもう一人の見張りが駆けつける。
 彼らの目の前で、木は、葉を幹を波打たせ、大きく身をしならせながら成長を続けた。まさしく掘っ立て小屋の壁を突き破る勢いだった。逞しく育った枝が、ぐいぐいとベニヤ板を押す。
「ど、どうした!」
 内から男たちが飛び出してくるのがわかった。
 エドは素早く裏に回り、錬金術で小屋の壁に小さな扉を作る。
「――マリアさん!」
 突然小屋に入り込んだエドを、マリアは茫然と振り返った。
「あなた……?」
「話はあとだ、早く外へ!」
 ところが、連れて逃げようとしたエドに逆らい、彼女はその手を強く振り払う。
「誰だか知らないけれど、余計なお世話よ。私はまだ何も聞き出していない」
 エドは驚いてマリアを見た。
 初めて間近で彼女の顔を見た気がする。彼女は決して整った顔立ちをしてはいなかったが、意志の漲るきらきらとした瞳を持っていた。エドは思わずその瞳に気押され声を失う。
 マリアは血を吐くように宣言した。
「私はここに真実を探しに来たのよ、誰にも邪魔してほしくない!」
 めきめきと耳障りな音を立てて壁が軋む。外では男たちが騒ぐ声が。もう間もなく木の変形も終わるはずだった。エドは焦って彼女を説得にかかる。
「別に邪魔はしないけど、これじゃただ殺されに来たようなもんだろ。もうすぐ軍部もここに駆けつける。そしたら奴ら拘束できるし、結果的にきっとあんたの言う真実も明るみに出る!」
 しかし彼女は震える声で悲しく笑った。
「冗談じゃないわ。軍部が何をしてくれるって言うの? 彼らは狗よ、真実なんかいくらでも捏造する」
「そんなこと……本当にそうだかわかんねぇだろ。軍にだっていい奴はいるし、簡単に事件を捻じ曲げたりはしないはずだ」
「あなたは知らないからそんなことが言えるのね。私は編集社で働いてたわ、軍がどれだけの情報を捏造したのか、教えてあげましょうか?」
 エドはもどかしく足を踏み鳴らした。
「だから! 今はそういうことを言い合ってる暇なんかねぇんだよ、犬死したいのか!」
 マリアがくしゃりと顔を歪めた。
「ロナルドが無実だっていう真実と引き換えになら、命なんか惜しくない……」
 唐突にむかっ腹が立った。エドは相手が女性だということも忘れ、乱暴に腕を掴み寄せ、怒鳴りつけた。
「あんたバカか!」
 エドの勢いに押され、マリアがびくりと肩を跳ね上げる。
「真実とか軍とかロナルドとかで、自分が死にたい理由飾ってんじゃねぇよ! そういうのはただのヤケッパチって言うんだ!」
 と、その時だ。
「――へぇ? ずいぶん気の利いたこと言うガキじゃねぇか」
 息が止まる。それでも慎重に振り返った。
 あの小さな男を先頭にしたテロリストたちが、銃を構えてこちらを向いている。
 エドは冷や汗が背を伝うのを感じだ。
「どこから入ってきた? いや、どこまで知ってる? 表の捻じ曲がった木もお前の仕業か?」
「……何の話だ? オレはこの人が変な男に捕まってるように見えたから、一緒に逃げようって誘ってただけだ」
 エドは努めて冷静に言ったが、男は鼻で笑って取り合わなかった。
「お前、東方司令部に出入りしてたガキだろ? 何度か入り口で見た覚えがある」
「司令部に知り合いがいてね」
「ほぉ、その年でか? 軍に幼稚園があるとは知らなかったぜ」
 かちんときた。エドは目つきを鋭くして男を睨む。男は笑っていた。
「おおかた軍人に雇われたんだろ? お前はいくらの狗だ? 買ってやるから、ここで見たことは忘れちまえ」
「…………」
「それともお前も自殺志望者か? どうやらそっちの女はそうらしいけどな」
「別に。死にたくはねぇよ」
「だよなぁ。自殺する奴は所詮負け犬さ、どっかの誰かみたいによぉ」
 マリアがきつく拳を握るのが見えた。それを横目で見ながら、エドは、さも今初めて会話の流れでそう感じたように口を開く。
「……あんたの言い方だと自殺したやつが他にいるみたいだね」
 小さな男は口端を歪めた。
「ああ。いたな、バカな男が一人」
「あんたがそうさせたんじゃねぇの?」
「人聞き悪ぃ言い方だな。まぁ、死にたいって言う奴に手を貸してやったことはあるぜ。ありゃ人助けさ」
 マリアが唇を噛み締める。
 あれほど彼女が知りたがった真実は、ひどく汚い言葉で彩られていた。彼女は本当にこんなものと引き換えに命を投げ出す気だったのか。もはや尋ねることも馬鹿らしく、エドは己の視界から女を閉め出した。
 そして男たちを真っ直ぐ睨みつける。
 こちらに向く銃口は四つ――
「さて、小僧。答えは決まったかい?」
「決まったよ」
 エドは不敵に笑った。
「オレは誰の狗でもない」
 パン! 強く手を合わせ、即座に地面に再構築を呼びかけた。途端に足元から唸るような地響きが起き、男たちが怯えて辺りを見回す。
 ベニヤ板の脆い壁が今度こそ土台から浮き上がった。
「な――何だと……っ!」
 エドの足元から段差ができ、地面が男たちだけを乗せ、急激に高く盛り上がる。
 小屋は変化に耐え切れず、家の形を取ったまま脇へと吹っ飛んだ。先ほど錬成で変形させた木もまた、根こそぎなぎ倒される。
 埃の散る中、エドは混乱に紛れてマリアの手を取り走り出す。
「ま、待ちやがれっ!」
 すぐに口汚く罵る言葉が聞こえた。我を持ち直した男の一人が、慌ててライフルを構え直すのも見えた。
 どこか障害物のある場所に出なければ撃たれる!
 エドが逃げ場を探し、埃で煙る道を振り仰いだ瞬間である。
「――伏せたまえ」
 声が聞こえた。聞き覚えのある落ち着いた声だった。
 何も考えられず、隣のマリアを抱え込むようにして地面に倒れこむ。
 間髪いれずに軽く指を弾く音がして、焦げた匂いが頭上を掠めるのだ。
 続く轟音。
 辺りの空気が一瞬にして上昇する。かえりみれば、男たちのいた段上に熱の塊が爆発する間際だった。
 エドは息を忘れてその焔を見た。
 そして静かな声はエドの頭上から。
「……私は危ないことをするなと君に言い忘れていたらしい」
 ロイがいた。
「それとも正しく注意をしたのだろうか。君は覚えているか?」
「……覚えてない」
 エドは起き上がり、地面にぺたりと座り込んだまま、いつになく怒った表情をした彼を見上げた。
「だって、そういう注意より、大佐に名前呼ばれたことの方が大問題だったんだ……」
 言うと、彼もまた難しげに考え込む。しかし結局あきらめた様子で息をつくのだ。
「……実は私もそちらの方が大問題だった」
 はは……、とぎこちない笑いが漏れた。
 今頃になって銃口を向けられた緊張が襲ってきたらしい。自力では上手く腰が立たなかったが、ロイは全て承知しているように手を貸し、助け起こしてくれた。
 間もなくアルフォンスの呼び声も聞こえてくる。
 事件は終局を迎えようとしていた。
 軍人たちに囲まれながら歩き出すマリアが泣いていたのを、エドは遠くからぼんやりと眺めていた。
 
 
 その後、テロリスト拘束のニュースは、イーストシティ内で大々的に報じられた。
 ロナルドはやはり男たちに殺された上で、自殺に見せかけ焼かれていたらしい。しかし、一方で、なぜロナルドを仲間に引き入れようとしたのか、物語にちなんだ日付を選んでテロを繰り返したのか、彼らのテロ行為に対する、軍部からの情報公開はほとんどなかった。
 ただ、ロナルドは、軍部に対する隠れ蓑としてテロ集団から利用されたのだ、と。
 新聞とラジオはこぞって報道し、一時は見向きもされなかったロナルドの墓が、今では、日毎集まる国中からの花で敷き詰められているそうだ。


02
 軍部に帰ればすぐに祝勝ムードになった。とはいえ誰もがまだ職務中の時間帯だ。事件解決に歓声を上げる輩はいても、派手にはめを外す者はいない。ただ、食堂からはいつもより手の込んだコーヒーが全員に振舞われ、皆はそれでささやかな乾杯をした。
 アルフォンスは今、手荒い歓迎を受けている真っ最中だった。エドと離れて行動していた間どういったやり取りがあったのか、もうハボックたちと打ち解け、楽しげに笑い合っている。
 人に囲まれている彼の姿に、エドは心から安心した。
 弟は本来、エドよりもよっぽど社交的な性格だった。ところがあの鎧の姿になってから、どうも人に遠慮したり気兼ねしたりすることが多くなったように思う。人の集まる場所も敬遠ぎみで、リゼンブールの村で生活している間は、落ち込む姿ばかり目についた。
 連れ出してきて良かった。
 そんなことを考えつつ壁際でひっそりコーヒーを啜っていると、いつの間にか隣にロイが立っていた。
「今日は静かだな」
 彼が言うのを苦笑いで聞いた。実は未だに緊張が抜けないのだ。銃口を向けられた時の、全身の神経がぞわりと逆立つ感覚を、脳が勝手に何度も繰り返している。
 怖かった、というのは、少し違う。
 これまでエドは子供として扱われることに慣れすぎていた。けれども、銃の前に立てば子供も大人も関係ない。
 暴力や悪意は、人を選ばず向けられるものなのだと初めて知った。
「……大丈夫か?」
「……うん?」
「少し後悔したんじゃないかと思ってね」
 ロイの言い方に、エドは小さく微笑んだ。
「しないよ。オレが決めたんだ、資格を取って軍と関係を持つことを。大丈夫、そのうち慣れるさ」
「……そうか」
「うん」
 彼もそれ以上は言わなかった。しばらく黙って室内の和らいだ空気を感じていた。
 あとになって、ふとロイが呟いた。
「そう言えば、決めたんだ」
「ん?」
「呼び名。君が……気に入ってくれるといいんだが」
 こちらを見下ろした目は、いくらか自信がなさげに見えた。
 相変わらず彼はこの問題に過ぎるほど生真面目な態度でいる。エドにはそれがおかしかったが、決して悪い気はしないのだ。
 無言で彼の声を待つ。彼が改まった表情で小さく咳払いした。
「……鋼の」
 ハガネノ。
 少しの皮肉と少しの賞賛が入り混じった、不思議な響きである。
 エドは神妙な面持ちでこちらの評価を待っている男を見上げ、小さく笑った。
「……いいよ?」
「鋼の?」
「うん」
 ロイがほっとしたように息をつく。
 その名もまだ聞き慣れないが、きっと間もなく自然に耳に入ってくるようになるだろう。何しろ――
「……鋼の」
「何だよ」
「鋼の」
「……用もないのに呼ぶな」
「鋼の、鋼の、鋼の」
「悪乗りするなっ!」
 何しろ、うるさいくらい連呼しそうな友人もできたことだし?